初上陸!小笠原諸島・父島

query_builder 2017/10/25
ヒーリング編

小笠原に行ってまいりました!高校・大学の同級生との二人旅です。彼とは今年に入っ て、宮古島、四国バイクツアー、沼津シュノーケリング、そして小笠原と何故か予定がうま くはまり、同行することになりました。小笠原の歴史は下記の通りです。


●1830 年(天保元年) - ナサニエル・セイヴァリーら白人5人とハワイ人25 人がハワイのオアフ
島から父島に入植し、初めての移住民となる。
●1876 年(明治9 年)3 月 - 小笠原島の日本統治を各国に通告し、日本の領有確定。小笠原諸島が
内務省の管轄となる。日本人37 名が父島に定住。内務省出張所設置。
●1880 年(明治13 年)10 月28 日 - 東京府小笠原出張所を設置。
●1920 年(大正9年)8 月 - 陸軍築城部が父島支部を設置。
●1927 年(昭和2年)- 昭和天皇が戦艦「山城」で父島・母島を行幸し、母島の御幸之浜で海洋生
物の調査実施。
●1944 年(昭和19 年)9 月2 日- 第二次世界大戦の最中、のちの米国大統領となるジョージブッ
シュが父島に有った日本軍施設を攻撃している最中に撃墜されたが米国潜水艦に救助された。(注
1)
●1945 年(昭和20 年)- 小笠原事件
●1968 年(昭和43 年)- 小笠原返還
●1972 年(昭和47 年)- 東京電力が小笠原父島内燃力発電所の操業開始。
●1976 年(昭和51 年)- 父島ケーブルテレビ開局。
●2002 年(平成14 年)- ジョージブッシュ元米国大統領が、かつて当地で撃墜された折り、行方
不明となった同僚の追悼と日米友好のために訪問した。
●2011 年(平成23 年)-小笠原諸島がユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録される。


(注1)パパ・ブッシュが日本軍に撃墜され、日本の船舶が捕獲に向かっている最中に、 ほんの一瞬早く米軍潜水艦が救出したそうです。日本軍が先に捕虜にしていたら、も しかして無抵抗な島に対する無差別攻撃ということで、処刑されていたかもしれませ ん。そうなると湾岸戦争は無かったかも・・・。そうなると息子も生まれておらず、 イラク戦争も無かったかもしれません。(まあどうせアメリカのことですから共和党に 別の候補を立てて大統領にし、中東に因縁をつけて別の戦争を仕掛けていることでし ょうが。)

9/14~19 の6日間の旅でした。連れがマメなので全てお任せ。例によってガイドブック も何も持たず、予備知識なしで小笠原丸へ。(私は海外旅行でもガイドブックはほとんど 買わず、現地の人に聞いて行き先を決めています。)行く前に決めたのが、初日の島内観 光と最終日の南島上陸とドルフィンスイミングと、2日目のスキューバダイビングです。 (「マメな連れ」のお陰です。)

①小笠原丸から見た夕方の八丈島

②展望台からの眺め

③米軍に沈められた日本の貨物船の 残骸


 9/14~19 の6日間の旅でした。連れがマメなので全てお任せ。例によってガイドブック も何も持たず、予備知識なしで小笠原丸へ。(私は海外旅行でもガイドブックはほとんど 買わず、現地の人に聞いて行き先を決めています。)行く前に決めたのが、初日の島内観 光と最終日の南島上陸とドルフィンスイミングと、2日目のスキューバダイビングです。 (「マメな連れ」のお陰です。)


 今回のツアーは船乗りばかりであったことに、翌日のスキューバダイビングの乗船まで 全く考えもしませんでした。実は私、相当な船酔いもちでして、過去、大小どのような船で あろうと酔わなかったことは数えるほど。魚を釣りに行ってはゲロゲロ状態で、船頭から撒 餌をするなと怒られる始末。


 よく考えると何故このような無謀?な旅に参加したのか。実は今もって理解できず、誘 いを受けたときは何も考えておりませんでした。道中船酔いに効くといわれているアネロ ンの購入すら思いもつきませんでした。今考えると、神様からのプレゼントであったことが 分かります。(後述)


 日々多忙な中、「9月に小笠原に行こうぜ!」と声をかけられて、二つ返事で OK してし まった次第です。その後申し込みから段取りまで全て、「マメな連れ」にお任せ。 全く船酔いのことなど頭から飛んでおりました。前日、到着の際の打ち合わせで、お店 の人にお弁当持っていきますかと聞かれて、何も考えずに一番おいしそうな弁当を申し込 んでいました。そして翌朝8:00のお迎えの車に乗って二見桟橋へ。その後スキューバダ イビングを実施して、港に戻り、コペペ海岸と宮之浜でシュノーケリング。因みにお弁当は 完食です。海の綺麗さと景色の素晴らしさに心を奪われていたのでしょう。実はこの時点 で船酔いすることに、まだ気づいておりませんでした。


 翌日は予定が空白で、前日「マメな連れ」が、「風覧プーラン シーカヤッククラブ」に連 絡、奇跡的に2人分空いており、申し込み。一人 8,500 円のツアーに参加しました。なお、 弁当は宿泊先(ビーチ・コマ)のおにぎり弁当です。この時点でもまだ食い気が先行し、船 酔いに気づいておりません。

 エンジン付きのシーカヤックで船長の中島さんと我々2人(写真⑪)、後2人でしたが、 何と知り合いの方で、お互いすごい偶然にビックリした次第です。和気あいあいとした雰囲 気の中、沈没船(写真③)のポイントではエイを発見、その他ジニービーチ、南島、兄島海 域公園(写真⑤⑦)、製氷海岸など、目一杯連れて行ってもらい大感激です。


 そこでハプニングがありました。ジニービーチ近くでシュノーケリングをしていた際、「マ メな連れ」が、何を勘違いしたのか海岸に上陸したのです。当日は台風の影響で相当波 が高く、海岸の岩場は波が白く割れています。中島船長も驚いています。「早く帰ってこ い!」と何度もサインを送り、ようやく理解した「マメな連れ」は何度か帰還を試みますが、 押し寄せる波に戻され、何度チャレンジしても戻れません。私は彼を良く知っていますの で、中島船長に、「彼の様子がおかしい、体力的にきつそうなので、左端の岩場から拾っ てほしい」と依頼し、そこに回ってもらい、そこで当該カヌー業始まって以来初の救命具を 使用しました。「マメな連れ」は無事生還となりました。


 その後、波が強く、他のポイントには行けなかったこともあり、中島船長は多額の割引を してくださいました。私としては、楽しいツアーでしたので、誠に申し訳ないことをしたと思 いました。因みに彼は東京都日野市出身でした。 この道中、移動中の大揺れのカヌーの中で、おにぎり弁当を食べている最中に、自分 が船酔いに弱いことを思い出しました。ところが、いつもの「オエ~」がこないのです。おか しいなと思いつつ、ツアーが楽しく、またすっかり酔いのことは頭から離れていきました。


 このツアーで一番驚いたのは、港へ到着間際の製氷海岸のサンゴ礁でのこと。中島さ んから、ここはよくシュモクザメが出るよと脅されていましたが、綺麗なサンゴ礁(実はここ が一番お勧め)に目を奪われ、真っ先に海に飛び込んだところ、目の前に2メーター以上 のサメが泳いでいて、お互いビックリしたことです。


私は船に飛び乗り、サメは何処へやら。再度入水しましたが、二度とお目にかかりませ んでした。実はサメは臆病で、余程のことが無い限り人間を襲わないとのこと。余談です が、シーシェパードを裏で操っているオーストラリアでは、クジラを保護し過ぎて、数が多く なり過ぎ、そのクジラを狙ってホオジロザメが沿岸に来るようになり、人が度々襲われて いるようで、今オーストラリアで社会問題化しています。自国の輸出産業である畜産物の 普及のために捕鯨を敵視した政策が、とんだところで問題になっているようです。いつの 世も「嘘は必ずバレル」のです。


 最終日は、予約していた小笠原観光有限会社のドルフィンスイムに参加しました。女性 スタッフは東京・横浜からの移住組で、小笠原のきれいな海に惹かれたのだそうです。 その船の乗船客21名の内、半数ほどが女性でしたが、何とその内の3名が、港を出て 早々にグロッキー状態。そして次々に船外に撒餌を・・・・。ここでふと我に返り、そういえば 俺も船酔いがきつかったなと。この日は特に波が高く、大揺れでした。念願のドルフィンス イムを果たすべく、なるべく見ないようにしていましたが、何となく前2日間とは気分が違いました。


 結局ドルフィンスイムは2回チャレンジし、直ぐ近くで、4頭で戯れるイルカをバッチリ瞼に 収め、ついでにマンタを船上から見ることが出来、ツアーを満喫しました。 今、帰りの小笠原丸の中でこの文章を書いていますが、薬をもらったにも拘らず、気分 はすぐれず、夕食はキャンセルしました。今回の旅で何よりも有難かったのは、「マメな連 れ」の存在と「船酔いから一時解放されたこと」です。この2つは神様からの私への贈り物 でした。


 皆様も是非、一度小笠原へお越しください。船旅は不便ですが、ネットがつながらない 状態が 20 時間ほどあります。この間は様々なことを考える時間になり、時間に追われる 現代人にとっては何物にも代えがたい時間となります。また、小笠原は素朴な街です。沖 縄と違って、商売っ気はありませんが、海と星空は絶品です。ここに惹かれる内地(といっても小笠原は東京都で、テレビは全局入ります。車は何と品川ナンバー!)の人の気持ち がよく分かります。

 今回の長旅に際しまして、当社社員には、くれぐれも予定通りに帰ってきてくれと言わ れておりました。翌日の9/20 が久しぶりの自社セミナーの講師の予定が入っており、60 名ほどの参加、懇親会も 40 名ほどの参加と伺っておりました。


 何の根拠もありませんが、私は晴れ男でして、今まで 1,500 回以上飛行機と新幹線に 乗っておりますが、目的地につかなかったことは1回だけです。(今年の7月にジンクスが ついに破られてしまいました。)ということで、あと 19 時間後には東京・竹芝桟橋到着予定 です。

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