大東亜戦争から学ぶリーダーシップ③

query_builder 2019/07/10
歴史編

第3回目は、木村昌福少将:キスカ島の5000人の将兵を救済した男です。 (きむら まさとみ、1891年(明治24年)12月6日 – 1960年(昭和35年)2月 14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。 現場叩き上げの指揮官として太平洋戦争の海上戦闘で数々の武勲を立てましたが、特に「奇跡の作 戦」といわれた『キスカ島撤退作戦』を指揮し、5千名あまりの日本将兵の無血撤退を成功させた事績で 名高い軍人です。


私は小学生の頃に三船敏郎の主演(写真①)のこの映画をTVで観て、その卓越したリーダーシップに 感動しました。作中では大村少将とされていた木村提督は、海軍兵学校では後ろから数えたほうが速い (118名中107番)でした。当時の帝国海軍の出世は、この卒業成績(ハンモックナンバー)で決 まるといわれており、事実、上位数名が海軍大学校に行き、エリートコースを歩んでいたようです。そのような 中、現場叩き上げで「潮気の多い士官」として艦隊勤務を続け、例外として出世し将官にまでなった木村提 督(写真②③)は、人間味あふれ、性格は豪快でさっぱりとしており、大酒呑みであったようです。また、部 下を無闇に叱ることもなく常に冷静な態度を崩すこともなく、部下もそんな彼を「ショーフク」と呼んで慕っていた といわれています。(その反面、司令部などでは海軍大学校出のエリート士官達からはあまり快く思われていな かったという話も残っています。いつの世にも現場を知らないにもかかわらずエリート意識をもって、叩き上げの 人間をさげすむ類の人間がいたのですね。) 様々なエピソードにこと欠かない提督であり、作戦目的をよく理解して「待つ」ことが出来た数少ない将官の 一人であり、いざ戦にあっては常に先頭に立って参加し、敵味方に対しての人道的配慮を決して忘れず、撤 退するにあたっても最も危険な殿(しんがり)を務めたケースが多い、理想的な率先垂範できるリーダーです。


 木村提督を有名にしたキスカ島撤退作戦ですが、そもそもはミッドウェー島攻略作戦の陽動作戦として米 国土のアリューシャン列島の拠点であるアッツ島とキスカ島を占領し、米国の注意をそこに向けておいて、日本 の誇る機動部隊で一挙にミッドウェー島を攻略し、慌てて出てきた、真珠湾攻撃で打ち漏らした米空母部隊 をせん滅するというものでした。これが日本の望む早期講和の近道であるとの判断でした。


 ところが暗号が米国に筒抜けであったため、ミッドウェー島沖で待ち伏せにあい、第一、第二機動部隊の「赤 城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の虎の子の四空母を失い、敗戦に向かってまっしぐらという状況の中で、戦略的 価値を失ったアッツ島が米軍によって全滅させられ、その隣のキスカ島も米軍上陸は時間の問題とされている 状況でした。 米軍は、レーダー装備で日本の潜水艦や補給の輸送船を沈めまくっています。そのような状況下で、軍令 部は同島に残された5,200名の守備隊の救出を決定します。 この作戦の肝は、濃霧を利用して敵のレーダー網を掻い潜り、短時間で5,200名を艦艇に収容す るというもので、艦隊指揮に優れ、「待つ」ことのできる木村提督を置いて他に適任者はいない状況でした。 作戦は二度行われ、一度目では濃霧が発生せず、引き返したため(写真④)、連合艦隊司令部、大本 営から散々非難されましたが、木村提督は意に介さずに艦艇の舷側で釣り糸を垂れながら、濃霧の発生を 待っていたそうです。そして2度目の出航で見事に、キスカ湾突入後、僅か55分間で5,200名全員 を収容し、一隻の損害も、一名の死者も出さずに帰還しました。見事な判断と実行力です。そして何よりも 強運の持ち主です。



木村提督のご家族は、戦後このエピソードが映画化されるまで、「お酒のみの穏やかなお父さま」としか思っ ていなかったそうです。 「英雄過去を黙して語らず」 職務に忠実な人物は、与えられた任務を遂行しても、当然のことをしたとの認識で、それを自慢げに語る ことはありません。本当に優れたリーダー像とは何かを考えさせられます。 日本の戦争映画の傑作である「太平洋奇跡の作戦キスカ」

https://www.youtube.com/watch?v=2aAQSk0152s
を是非多くの方にご覧になっていただきたいと思います。胸のすくようなラストシーンと勇壮な音楽、昭和日本
の底力を感じることができ、戦後教育の負の部分の洗脳が解けること間違いないと思います。
また余談ですが、キスカ島の日本軍の軍医の悪戯で、『ペスト患者収容所』と書かれた立て看板を兵舎
前に残していったそうです。当時通訳官として従軍していた現日本文学者のドナルド・キーン氏がこれを翻訳
すると上陸部隊は一時パニック状態に陥り、緊急に本国に大量のペスト用ワクチンを発注し、感染を疑われ
たキーン氏は検査のため後方に送られそのまま終戦を迎えたそうです。
当時の日本人のユーモア溢れる悪戯心に敬意を表したいと思います。

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