大東亜戦争から学ぶリーダーシップ④

query_builder 2019/08/10
歴史編



第4回目は、栗林忠道中将(写真①③):硫黄島の戦いを指揮した男です。 栗林 忠道(くりばやし ただみち、1891年「明治24年>7月7日 ― 1945年〈昭和20 年>3月26日〉は日本の陸軍軍人。陸士26期・陸大35期次席。最終階級は陸軍大将。位階勲 等は従四位勲一等(旭日大綬章)。長野県埴科郡西条村(現:長野市松代町)出身。第二次世 界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)末期の硫黄島の戦いにおける、日本軍守備隊の最高指揮官(小 笠原兵団長。小笠原方面陸海軍最高指揮官)として知られます。多くの方は2006年公開のハリウッ ド映画「硫黄島からの手紙(クリント・イーストウッド監督)」の渡辺謙さん(写真②)の役柄でご存知かと 思います。大東亜戦争(太平洋戦争:米国呼称)で最大の激戦地である硫黄島の戦いを指揮した将 軍として、私の尊敬する軍人の一人です。


私は昔から一つの固定概念に凝り固まった頑固な人物が苦手でした。昭和の時代にはそのような人物が 山のように存在しました。もっと合理的に考えて改善すればいいのにやろうとしない人、やることを諦めている 人、周囲に流される人、黙って従う人など、自ら自分の環境を変えようとしない人がそれこそ沢山いました。軍 事学研究の中で、私の大嫌いな固定概念に固まっていた象徴の存在が旧帝国陸軍でした(今では良かっ た点も評価しております)が、その中で光明を放っていたのが、この栗林忠道中将でした。

 大東亜戦争では、日本はアジア地区では善戦しており、劣勢ながらも終戦まで何とか勢力を維持していた エリアは多数ありましたが、もっぱら太平洋エリアにおいて米軍に負け続けていました。ガダルカナルの敗戦以 降、ソロモン諸島、ニューギニア、フィリピン、マーシャル諸島、マリアナ諸島等、米軍が本気で攻めてきたエリア では完膚なきまでに叩き潰されました。

 海軍が制空権、制海権を奪われ、武器弾薬や食料の補給もままならず、現地守備隊に、現有戦力と武 器弾薬のみで戦うことを余儀なくされたからです。多くの戦場で守備隊の指揮官たちは「水際作戦」と称し て、砂浜に戦力を集中し、敵の上陸用舟艇の接岸のタイミングで、最も無防備なところに集中砲火を浴び せ、上陸を阻止するという、古い軍事概念のまま、マニュアル通りの戦いを選択し、悉く米軍の艦艇の想像を 絶する艦砲射撃の雨あられにさらされ、更に大規模な航空機の攻撃を徹底的に受け、実際に戦う前にその 戦力を消耗し、敵に大きなダメージを与えることなく簡単に上陸を許し、万歳突撃を行って全員玉砕というパ ターンを繰り返していました。 大東亜戦争から学ぶリーダーシップ④ ① ② ③ 栗林中将は、陸軍士官学校、陸軍大学をトップクラスで卒業したエリートですが


 栗林中将は、陸軍士官学校、陸軍大学をトップクラスで卒業したエリートですが、既定の概念にとらわれ ず、死ぬことを目的とせず、徹底して米軍にダメージを与えること、勝てる見込みはないが、米軍の硫黄島占 領時期を出来るだけ遅延させることを目的に定め、米軍来襲前の8か月の間に、火山ガスで覆われ、穴を 掘ろうにも5分と耐えられない劣悪な環境の中、歯を食いしばって穴を掘り、敵の艦砲射撃に影響されない 数10キロにも及ぶ地下要塞を構築しました。


 絶海の孤島での守備隊員の心情は、「帝国軍人として華々しく散華(さんげ)したい」 です。ところが硫 黄島では、将兵の全員が、栗林中将が下した決断の意味を理解していました。 「ここ(硫黄島)が落ちれば、いよいよ本土が空襲される。ただ我々が頑張れば、その分内地の人々の命 を救うことができる。」(米軍の硫黄島攻略の目的は超大型のB29爆撃機の護衛戦闘機P51の基 地にするためで、令和元年7月現在でも小笠原諸島では硫黄島以外に空港はありません。)


 この結果「作戦は5日で完遂する(上陸部隊指揮官ホーランド・スミス海軍中将)」と豪語して上陸して きた米軍61,000人を、1945年2月19日に20,933人で迎え撃ち、3月26日の終結 まで35日間食い止め、米軍の死傷者数28,000人と日本軍を上回る米国海兵隊史上の最も犠牲 者の多い戦いとなりました。栗林中将の元、陸海軍の兵士20,933人が一体となって、祖国日本の国 民が一人でも犠牲にならないよう全力を尽くされました。栗林中将は、野菜が送られてくると、細かく刻んで一 人でも多くの将兵に行き渡るよう指示され、自分は一口も口にしなかったそうです。また食事も一般の将兵と 同じものしか口にしなかったそうです。そのようなリーダーだからこそ、多くの将兵の気持ちを一つにし、最後の一 兵まで戦うことにつながったのだと思います。


 栗林忠道(陸軍大将)語録5件 「祖国のため我々は最後の一兵になろうともこの島で生き延びる事が義務である」 「男には『意思』の強固と云う事が何より大切である。意志の弱い男は何が出来ても役に立たない」注釈: 硫黄島から長男宛てへの手紙の一節(1944年11月27日) 「人間は生死の関頭に立てば、矢張り一家の事が一番気にかかる事がはっきりします」注釈:硫黄島から妻 宛てへの手紙の一節(1944年7月6日) 「予が諸君よりも先に、先陣に散ることがあっても、諸君の今日まで捧げた偉功は決して消えるものではない。 いま日本は戦に破れたりといえども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸 君の英霊に対し涙して黙祷(もくとう)を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし。 天皇陛下万歳!」注釈:最後の訓示 「この(硫黄島での)戦闘は、過去168年の間に海兵隊が出会ったもっとも苦しい戦闘の一つであっ た。・・・・太平洋で戦った敵指揮官のなかで、栗林中将はもっとも勇敢であった」注釈:米軍のホーランド・ス ミス中将の言葉


辞世の句国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」 国の為に防衛線を守るという重責を果たせず、武器弾薬も尽き、このまま散っていくのは無念だ。

一、戦局ハ最後ノ関頭ニ直面セリ

二、兵団ハ本十七日夜、総攻撃ヲ決行シ敵ヲ撃摧セントス

三、各部隊ハ本夜正子ヲ期シ各方面ノ敵ヲ攻撃、最後ノ一兵トナルモ飽ク迄決死敢闘スベシ 大君テ顧ミルヲ許サズ

四、予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ


3月17日以降、栗林中将は米軍の警戒が緩むのを辛抱強く待ちました。米軍の警戒に隙が出た2 6日未明、栗林は階級章を外し、白襷(たすき)を肩にかけ、抜刀して残存将兵400名の先頭に立 ち、米軍が占領している第1・第2飛行場に突入しました。 栗林は進撃中に右大腿部に重傷を負い、その場で自決し たとされます。満53歳没。

このシーンは映画「硫黄島からの手紙」のクライマックスシー ンとして強烈な印象として残っています。栗林中将は家族思いの優しいお人柄であったようです。


 大東亜戦争全般で総じて言えることですが、好戦的で勇猛果敢そうに見える、猪突猛進型のリーダーで、 後世に残る偉大な功績を残した方は殆どいません。一見無口で喜怒哀楽を表に出さず、部下思いで、地位 に恋々としないが、一旦動き始めると内に秘めた強い意志を貫き通すことのできる、人徳を持ち合わせた人 物こそが、真のリーダーシップを発揮しているようです。以前に本コラムで申し上げましたが、<ヘッド(頭脳) >と<ガッツ(実行力)>と<ハート(清い心・愛)>を全て持ち合わせている人物のことです。 このヘッドとガッツとハートを念頭に、次世代のリーダーを見出し、育成していくことが、我々昭和の生まれの 者たちに残された使命のように感じます。

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