大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑩

query_builder 2020/03/10
歴史編

 第10回目は、宮崎 繁三郎陸軍中将(写真①)みやざき しげさぶろう、明治25年(1892 年)1月4日 - 昭和40年(1965年)8月30日:岐阜県出身)は、日本の陸軍軍人。最終 階級は陸軍中将です。宮崎中将のご長男は、陸軍士官学校出身で元明治大学総長の宮崎繁樹氏で す。)

陸軍の陸大で参謀教育を受けた宮崎中将はノモンハン事件・インパール作戦など、日本軍側が圧倒的不 利な状況で戦い、限定的な部隊内での指揮権しか与えられていない状況下の中、華々しい「勝利」を得る事 はなかったものの部隊を維持し粘り強く戦った日本陸軍屈指のリーダーです。日本軍が劣勢の戦場の中でも戦 功を挙げた事で知られ、日本陸軍の野戦指揮官として名高い存在です。 陸軍大佐歩兵第16連隊長として参戦したノモンハン事件では、事件唯一の勝利戦指揮官とも言われて います。(戦後ロシアからの情報開示により、当時日本陸軍の負け戦と言われたノモンハン事件は、実は互角 の戦いであったようです。) 1944年のインパール作戦は、「陸の三馬鹿」と戦後評価された、第15軍司令官牟田口廉也中将 (むたぐちれんや:写真②/写真①と②を並べるのも嫌なのですが、私の大嫌いな指揮官です。)による補 給を無視した無謀な作戦で多くの犠牲者を出しました。宮崎中将は当時陸軍少将で、第31師団・歩兵団 長として参戦しました。 彼は険峻な山岳地帯を自ら大きな荷を背負い、先頭に立って部下を率い、要衝コヒマ(現在のインド領) の占領を指揮しました。 コヒマはインパールへの補給路でありイギリス軍の激烈な反撃が始まると第31師団は疲弊し、援軍、補給 が絶たれて孤立します。この時「佐藤幸徳」第31師団長は無謀な軍命令に背き師団の糧秣を供給しない 事に抗議、独断退却を開始するが、宮崎少将麾下の歩兵団には同地の死守を命令、師団主力は撤退を 開始しました。 宮崎中将はこの無謀な命令に最善を尽くし、巧みな遅滞戦術により数週間にわたり持久戦を行い、その後 新たな軍命令により撤退を果たしました。

 この撤退時の行動が、優秀な指揮官・人格者・理性的軍人として賞賛される事になりました。 彼は、負傷 兵を戦場に残さないという信念の下、自らも負傷兵の担架を担ぎ、食料が欲しいと言われれば自らの食料を 与えて兵たちを直接励ましたといわれます。正に仁愛を兼ね備えたリーダーです。 また他隊の戦死者や負傷 兵を見つけると、遺体は埋葬し負傷兵を収容させ、日本軍の白骨死体で埋め尽くされた地獄の白骨街道 (当時インパールの撤退路は白骨街道(写真④~⑥)といわれていました)を撤退し続けたのです。そこに は宮崎中将の、軍人としての理性と人としての倫理観の双方が見られます。

 敗戦後ビルマの収容所に収容され、イギリス軍の捕虜となっていた時には、部下が不当な扱いを受けても決 して泣き寝入りすることなく、その都度イギリス軍に対し厳重な抗議を行って部下を守ったそうです。戦いを終え て捕虜となっても、宮崎中将は指揮官としての義務を決して放棄しませんでした。 1947年5月に帰国し、帰国後は自らの功績を吹聴するような行動は一切行わず、政治的・経済的な 活動を慎み、小田急線下北沢駅近くの商店街に『陶器小売店岐阜屋』を経営、店主として清廉で穏やかな 生涯を終えました。 数多くの戦歴・インパール作戦時の優れた采配と理性的な行動から宮崎繁三郎中将に対する評価は非常 に高く、大東亜戦争における日本陸軍の名将の1人とされています。宮崎に与えられた権限や兵力は決して 大きいとは言えず、同じ戦場で同格だった他の指揮官に比べ、特別有利だったり、優遇された事は一度もなか ようです。 しかしながら宮崎中将は、どんなに過酷な事態に遭遇しても最善を尽くそうとする、野戦部隊の指揮官として 優れた指揮能力と人徳を備えた有能な人物でした。しかもどんなに厳しい状況であっても、上官の文句や批 判を決して口にしなかったといわれます。 インパール作戦は帝国陸軍の暗黒史のトップクラスに位置づけられる、愚かで無謀な作戦でした。その戦いに おいて“日本陸軍の良心”ともいわれる宮崎中将の行動は、同作戦を立案、指揮した「牟田口廉也司令官 (ふたたび写真②)」と対極的なものとして語られる事が多く、戦後に生き残った作戦参加兵士達は、牟田 口の名を口にするたび、一様に怒りに唇を震わせ、宮崎の名を口にするたび、一様にその怒りを鎮めたそうで す。 私は大東亜戦争を学ぶ過程において、もっとも無謀な作戦は、このインパール作戦であったと認識していま す。そのほかにもフィリピン戦やガダルカナル戦など多くの悲惨な戦いがありますが、それらは戦略上必要な戦で あり、少なからず勝機もありました。しかしながらこのインパール作戦だけは、司令官の見栄と欲望が優先され、最も大切な兵站(補給:連合軍は兵站を最優先していた)を無視して戦いを継続した牟田口廉也司令 官を軽蔑しています。馬鹿なトップによって数万人(戦死26,000人、戦病死30,000人以 上)の日本人兵士が戦死・餓死・病死し、当人は戦後も何ら責任を負わず、部下に責任を擦り付けたので す。まさに生き恥をさらしたのです。それに引き換え、無謀な命令に敢然と立ち向かい、無断撤退した佐藤司 令官やこの宮崎中将のようなリーダーが存在したことを誇りに思います。 本コラムで毎回記載させていただいて いることですが、優れたリーダーに共通していることは

① 常に謙虚であること

② 人徳を備えていること

③ 機を見るに敏なこと

④ 誰よりも勇敢なこと

⑤ 自分の使命を全うしていること です。

私もこのようなリーダーを目指していきたいと思います。





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