大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑪

query_builder 2020/04/10
歴史編

 第11回目は、山下 奉文陸軍大将(写真①)やました ともゆき、1 885年(明治18年)11月8日 – 1946年(昭和21年) 2月23日)です。日本の陸軍軍人であり、陸士18期・陸大28期・ 恩賜の軍刀拝受(成績6位の優秀者)、最終階級は陸軍大将。 位階 勲等は従三位勲一等功三級、高知県長岡郡大杉村(現大豊町)出身 です。

山下奉文大将はマレーの虎と米英に恐れられた「猛将」とのイメージの将軍ですが、現実は「仁将」のイメー ジの方が強い軍人です。2・26事件の際に皇道派とみなされ、昭和天皇に疎まれたことでエリートコースから 外れ、後々の山下大将の運命に影を落としたようですが、詳細は割愛します。一般的には20数年前にフィリ ピンで「山下財宝」や「M資金」などとテレビで持て囃されたことで有名な方です。

 山下大将は当時難攻不落の要塞といわれた英領シンガポールを攻略するという大きな戦績を上げましたが、 当時の首相東條英機(陸軍大将)にも疎まれていたことから、凱旋帰国の際にも天皇陛下に拝謁を許され ず、その後はほぼ無風状態の満州に配置され、大きな作戦を任されることはありませんでした。その後日本の 敗戦色が濃厚となった1944年(昭和19年)に第14方面軍司令官として起用され、日本軍占領 下のフィリピンの防衛戦の指揮をすることになりました。 ところがその前に起きた陸海軍共同で実施した台湾沖航空戦で大本営発表として敵空母11隻撃沈、 8隻撃破との戦果報告があり、米軍機動部隊の航空機は壊滅しているとの認識のもと、フィリピン・レイテ島決 戦を大本営と陸海軍からごり押しされた形での戦いとなってしまいました。 実際には敵巡洋艦2隻撃破のみで、戦果報告は全くの誤報であることが判明しましたが、大本営は戦果 修正を行わず、また誰も責任を負わず、敵航空兵力は温存されたまま、その後行われたレイテ沖海戦で、戦艦武蔵をはじめ空母4隻、巡洋艦3隻など、多くの艦艇を失っていました。 そのような中でのレイテ島決戦のごり押しです。そして惨敗。続くルソン島での攻防戦では、山下大将は山岳 地帯での開戦を望みましたが、またもや大本営の横やりで、台湾沖航空戦で米機動部隊の航空兵力は壊滅 状態との認識のもと、マニラ市街での攻防戦となり、10万人に及ぶマニラ市民が死傷しました。その多くが米 軍による艦砲射撃と空襲によるものであったにもかかわらず、戦後その責任を全て負わされ、戦後最短の昭和 20年12月23日に処刑されました。 因みに極東軍事裁判(いわゆる東京裁判)において東條英機元首相始めA級戦犯とされた軍人や政 治家が処刑されましたが、その日も昭和23年12月23日です。 米英の怨念がこもった日なのですが、何と!当時の皇太子殿下、現上皇陛下の誕生日ではないですか! 当時の有識者にとっては許しがたい暴挙ととられる行為です。 私がアングロ・サクソンとその裏で糸を引くユダヤの研究をするきっかけとなったのが、この彼らの重要行為実行 日に秘められた怨念の周知方法にあるのです。彼らは日本人のように起きたことは「水に流す」ことができません。 敵対民族にとって大切な日を汚す行為を行うことによって、復讐を果たしていくのです。(9.11や3.1 1なども・・・!?) 我々はこのことを忘れず、理解した上で外交を進めていかなければなりません。日本以外の国では嫌なこと、 悲しいことを「水に流す」ことは極めて困難なことなのです。 話は戻ります。 私は、山下大将は軍人の道を歩むのではなく、政治家の道を歩んでほしかったと思います。戦後の混乱期 にこそ必要な人材であったと考えております。 山下大将は、昭和20年12月23日の処刑の40分前に、教誨師(きょうかいし:収容者や受刑 者の徳性の育成や精神的救済を目的として行われる教誨に従事する者のこと)の森田正覚氏に日本人へ 向けた遺言を残しました。その内容の一部の要約を下記に記しますが、彼が最後に伝えたかったのは軍人の道 を歩んだ自己の行いに対する自責の念と、自由を貴び平和を追求する新しい日本に対する理想の姿でした。 ・・・・其の第一は義務の履行ということであります。・・・・ 私の解釈) 戦争を通して人の弱さを目の前で見てきたから言えることで、戦中の軍隊における支配下の中での命令ですら、 義務の履行は実行されなかったことが多々あったようです。敗戦続きで軍紀が乱れていたのでしょう。 戦後復興という重責を担う日本人に対して、まず第一に実行してほしいことがこの「義務の履行」であったようで す。


・・・・第二に、科学技術の振興に重点を置いていただきたいのであります。・・・・

私の解釈) 特攻のように肉体を武器にせざるを得ない今回の戦争、科学を無視した精神論で結果的に多くの将兵や国 民を死に至らしめた後悔と、原子爆弾のような数十万人の人民を一瞬にして殺戮する兵器を使用しようとする 意志を持たない国家運営を行って欲しいと希望しました。そして、山下大将が望む科学の振興とは人類を破 壊に導くための科学ではなく、未利用資源の開発或いは生存を豊富にすることが平和的な意味において、人 類をあらゆる不幸と困窮から解放することにつながるため、その手段としての科学の振興を未来に託しました。


・・・・第三に申しあげたいことは・・・特に女子の教育であります。・・・・

私の解釈) ドイツやスイス留学のある山下大将は、日本女性の参政権は欧米と比較して十分なものではなく、戦前は従 順と貞節がもてはやされていた。しかし、それだけを尊重するのではなく、自ら古い殻を破り、高い教養を身につ け、行動力のある存在として女性としての能力を発揮していって欲しいと希望されました。 女性の自由の権利は自ら勝ち取ったものではなく、占領軍から与えられたものとしてとらえられてしまうと女性の 能力向上に寄与しないため、強い意志をもって女性の教育に力を入れていってほしい・・・。


・・・・最後にもう一つ申し上げたいことは。・・・・

母としての責任の中に次代の人間教育という重大な本務の存することを切実に認識して頂きたい・・・ 私の解釈) 現代教育は学校から始まったとされているが、大きな間違いである。幼児教育の根幹は家庭が主であり、最も 教育に適当なる存在は母親である。(戦前の考え方ではありますが、私は同意します/特攻隊員が無線で、 敵艦突入前の最後の瞬間に叫ぶ言葉の大半は「母さん!」だったそうです。ちなみに「父さん!」は一件もなか ったそうです(涙)) 更に、「皆さんは全精力を傾けて、子女の教育に当たっていただきたいのであります。然も私のいう教育は幼稚 園或いは小学校入学時をもって始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の 時をもって始められなければならないのであります。愛児をしっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時、何者も味わう ことのできない感情は母親のみの味わい得る特権であります・・・・・・・。愛児が大人となった時、自己の生命を 保持し、あらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し、人類に寄与する強い意志を持った人間に育成 しなければならないのであります。・・・」私(岡)は男ですので、子供は産めません。幼少の頃、病弱であった私は、常に母の看病を受けておりまし た。父は仕事で夜遅くしか帰ってきませんでした。躾はほぼ母から受けました。(今は多少ボケが入っています が・・・。)

この第四の遺言の個所で、母の恩を感じ、涙がこみ上げてきました。母と祖母から同じように諭されてきた言 葉は「立派な大人になりなさい!」でした。日本女性の美しさ、優しさ、清らかさを次世代に繋いで(男です が・・・)いかなければと強く感じました。 山下大将は牢獄の中で、あるいは1年近くのフィリピン奥地の塹壕の中で、日本の未来像を真剣に考えて いたのでしょう。彼の遺言の中には、自分の過去への回顧も言い訳もないが、当時の日本の末期的な状況を、 自分への猛省もこめて怜悧に分析して、あり得るべき日本への最後の言葉を残されたのです。4つの遺言のう ち2つは女性への提言でした。写真①~⑤のように見るからに男の匂いのる生粋の軍人であった山下大将は、 処刑の40分前にこのことを日本国民に伝えたのです。 最後に山下大将がおっしゃった言葉が、「これが皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります」でした。 一切の言い訳をせず、理不尽な裁判を正々堂々と受け止め、死に際しては、日本の行く末を案じて、魂に響 く言葉を残されました。裁判に立ち会った多くの連合国側の軍人たちが感銘を受けたそうです。山下大将の生 き様に感謝です!



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