靖国神社の役割とは?
和歌山県伊都郡九度山町の九度山中学校の向かい側の小高い丘に私のご先祖様の墓があります。東京での仕事が中心で、年間120回の講演、60~70回の社員研修、既存客 300 社の訪問、100 回の個別相談会の実施等でほぼ休日が無い状態ですので、墓参りは4年前に行ったきりの状態です。
その際、広い敷地の中である異変に気づきました。今から40年以上前には毎年のように大阪から車に酔いながら4時間くらいかけて墓参りに行ったものでしたが、当時は先祖供養の意味もよく分かっておらず、暇を持て余した兄とともに敷地内の他所の墓を見て回り、頂点が角錐(かくすい)型の墓(戦死した軍人の墓)に刻まれている軍
人の階級をみて、「こっちには陸軍上等兵の墓があった!」、「こっちは陸軍中尉や!」などと対抗し、より階級の上の人の墓を探したものでした。
私の記憶では6~7件に1件くらいの割合で角錐型の戦死した軍人の墓があったと思います。ところが、前回久しぶりに墓参りをした際には、墓地の風景が変わっており、あれほど沢山あった軍人の墓がほとんど無くなっていたのです。 もしやと思い、供養する人(永代供養)がいなくなり、連絡も途絶えた場合に一定の期間を経て移動させ
られる「無縁仏」の敷地に向かうと、そこには多数の角錐型の見覚えのある墓が放置されていました。 その時の悲しい思いは今も鮮明に覚えています。国のため、郷土のため、残された家族を守るため、日本の男たちは心ならずも国難に立ち向かい、出征していったのです。九度山出身の部隊の多くは激戦地に送られ、命を失ってしまったのです。その中には多くの家の跡継ぎの方もいたことでしょう。私が幼少の頃に見た角錐の墓は、その多くが跡継ぎを失った親が供養していたのです。そしてそれから数十年を経て、その親の世代が死に絶え、供養する者がいなくなり、無縁仏になってしまったのです。恐らく日本中で同じような現象がみられるのではないかと感じます。
国家のために命を失った方々を供養するのが靖国神社です。下記の戦歴は靖国神社から発行された、私の妻の祖父の記録です。写真、出身、戦死年月、戦死場所等2ページにわたり詳細な記載があり、遺族を慰めてくれます。
戦歴)
昭和14年7月、教育召集により姫路輜重兵第10連隊に入隊、1カ月の教育を受けた後、北
支(中国北部)に派遣され同地の治安維持のため奮闘、同年15年10月召集解除となり除
隊帰郷。 昭和19年4月26日姫路中部第四六部隊へ応召、同12月29日比島(フィリピン)
派遣軍豹第12021部隊 岡田隊に属しミンダナオ島の守備に当たる。
昭和20年7月15日 米軍の大艦隊に掩護された優勢なる敵兵上陸し来たり、一進一退の
大激戦となりたる折、敵弾命中しここに壮烈なる戦死を遂げた。
戦死場所は比島ミンダナオ島プチノドン州シラエ方面
後1カ月で終戦を迎えられたのにと思うと残念でなりません。またその後の義祖母、義母の御苦労されたお話を聞くにつけ、何ともやりきれない思いが蘇ってきます。
当時日本は徴兵制がとられており、男性の多くは別に職業を持っていましたが、国のために逃げることなく、粛々と兵役に就きました。本当に頭が下がります。にもかかわらず我が国の残された国民は戦争で負け、悪いのは軍人だったとGHQ(占領軍)に洗脳され、国のために命を掲げた恩人たちに仇で返しているのです。そのような中で創立以来一貫して我が国のために戦って亡くなられた先人たちの御霊を祀ってくれている存在が「靖国神社」です。例え郷土で無縁仏になろうとも、ここだけは一貫して、他国からどのようなイチャモンをつけられようとも戦没者を祀ってくれているのです。
本当に有難い存在です。 他国から何を言われてもこの「靖国神社」を守ることこそ先祖の御霊を供養することにつながるのではないでしょうか。先祖に対する感謝の念を忘れない姿勢は、結果的に会社の維持や組織の活性化につながるエネルギーともつながってくるように感じます。
株式会社ブレイン・サプライはJR水道橋駅と半蔵門線神保町駅の間にあり、靖国神社のある九段下駅にも徒歩十数分です。 我が社にお越しいただいた際には是非とも九段下の聖地、靖国神社に参拝されることをお勧めします。 何とも気が落ち着く良い気が流れる場所です