憧れが憎しみに変わる
「歴史を鏡にして」とはよく中国や韓国が使う言葉です。言葉には定義があります。
普段使う言葉の意味が実は全然ニュアンスが違っていたということがビジネスの世界やプライベートな人間関係においてもよくみられることです。
ところがこれが国家間では話が変わってきます。特亜といわれる中国・韓国・北朝鮮の 3 か国では、“歴史”とは「事実」ではなく、「自国に都合の良いもの」のようです。その言葉を真に受けた日本は、お人好しを絵に描いたように自民党政権時代から日中国交正常化(1972年)、日韓国交正常化(1965年)を行い、両国との関係を「友好」
という言葉のもとに妥協に妥協を重ね、15兆円を超えるお金を使い、歪(いびつ)な関係を築き上げてきてしまいました。
ここにきて両国との領土問題が浮上してきましたが、誤ったメッセージを送り続けてきたことが響き、まともな論議ができない関係になっています。
何故西郷隆盛が強硬に「征韓論」を唱えたか、何故「日清戦争」に至ったか現代人はもっと当時の歴史を検証しなければなりません。 今日起きている問題と本質は当時と変わりません。 両国は我が国を蔑視していたために、悉く我が国の提案を無視し続けてきたのです。第二次大戦後に言われているように我が国がアジアに侵略を意図して攻め込んだのではありません。歳月が60年を超えると、当時のことを覚えている人はいなくなり、結果的に都合の良い歴史観が生まれ、憎しみ合うようになるようです。
歴史家が大切にしているフレーズは、「史実の認識は感情を除外しなければならない。」ということです。 事実が歴史であり、感情を除いて振り返ってみたならば、両国との関係はどのようになるのでしょうか。
戦前、70~80年前も日中友好が叫ばれていましたが、現代と同じように宣伝工作に長けた中国は、日本を悪の権化かのように欧米でロビー活動をつづけ、現代と同じく中国マーケットを重視する欧米によって、結果的に日本が悪者にされ、孤立し、挙句の果ての戦争によって現代の貨幣価値にして7,600兆円もの支出を強いられた挙句、全てを失いました。
旧満州の開拓は中国人には驚異的に移りました。東夷と馬鹿にしていた日本人がどんどんと近代化を行って工業地域にしてしまったのです。大陸を時速130km を超すアジア号を走らせ、大規模な製鉄所を建設し、発展を遂げる姿を見て、万里の長城を超えて満州国に逃げ出す自国民が増加していった事実を、中国人たちは脅威に感じたでしょう。一方でそこに憧れを持ったのです。
朝鮮も同様です。
李朝500余年の治世の中で正式な学校はなく、名ばかりの官学校が4校のみでした。
教育といえるものはなく朝鮮併合反対論者であった伊藤博文が見かねて普通学校令を公布し、総督府時代(1906~1910 年)にはすでに日本の資金で100校以上が建造され、併合後もそれは続き、1934 年には5000校にも達しました。ソウル大学は6番目の帝国大学として 1924 年に設置され、台北帝国大学が7番目、なんと私の出身の
大阪府にある大阪大学は 1931 年に8番目の帝国大学として設置されました。阪大より、植民地と言われている韓国や台湾の大学の方が先に設置されたのです。我が国の政策が植民地政策ではなく、同化政策であったことが事実として浮かび上がってきます。欧米が植民地の人に現地で教育を施したなど聞いたことがありません。
1945 年までは日本人になりたかったという中国朝鮮人の方も多かったと私の幼い時に語ってくださった在日朝鮮人の方もいらっしゃったことを、私は強烈に覚えています。
今ここで日本の名誉を害し、日本に対してではなく欧米でネガティブキャンペーンを張る韓国人ロビイストの背後には韓国政府がいます。今まで散々自民党政府や左翼主義者に甘やかされ、日本から欲しいものはさんざん手に入れてきた彼らが、次に狙うのはなんでしょうか。自分なりに考えた結論ですが、南北朝鮮は、来るべき統一のコストを我が国に代替わりさせようとしているのではないかと考えています。 他国を巻き込まず、民族で自決することを求めたいと思います。
彼らはいくら叩いても悠然としている我が国に対し、憎しみに近いものを持っているのです。
この感情は恐らく劣等感からくる優越感の維持のための心のバランスを保つために来るものでしょう。 もともと差別主義者である中華思想の中国と、その傘下にあり小中華といわれた歴史を持つ韓国・北朝鮮にとっては、自分達より劣る民族である日本が、明治維新から短期間で近代化し、鉄道や戦艦や飛行機を自ら制作し、欧米相手に大戦争を仕掛けたことが気に入らないのです。 そこで日本を貶め、日本の意図は侵略であり、世界征服であったなどと架空の目的を創作し、日本に押し付け、これ以上自分たちよりも上に存在することを阻止してくるのです。
我々は両国と争うことを望んではいませんし、殴られた側の気持ちもよく理解できますが、一方で今後も上記の目的のために様々な過去の事案を拡大解釈して押し付けられていくことでしょう。
我々日本人は決して争うことなく、事実を歴史として粛々と生きてゆくことが大切です。
この忍耐が切れたときは、先の大戦のように交戦状態に陥ってしまいます。
「戦わずに勝つ」 すなわち孫子の兵法の上の上の策を地でいかなければなりません。
そのためにも国民一人一人が「事実としての歴史」をもう一度一から学び直し、揺るぎのない根っこを生やし、ぶれない自分を作っていくことが重要と考えます。