大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑫

query_builder 2020/05/14
歴史編

 第12回目は、岡田 資(おかだ たすく、1890年4月14日 – 1949年9月17日)は、日本の陸軍軍人(写真①②)で、最終階級は陸軍中将です。鳥取県に生れ 鳥取第一中学校(現:鳥取西校)卒業 1911年 陸軍士官学校卒業(第23期)1922年 陸軍大学校卒業(第34期)です。



 平成20年公開の映画 「明日への遺言(藤田まこと主演)写真③」で一般的に知られるようになりまし たが、経歴はどちらかというと華々しい戦場での功績があったわけではなく、駐英武官や陸軍大学校教官、戦 車学校校長などを務めてきた、極めて温厚なリーダーでした。特に若者に対する教育が熱心で、「青年将軍」の通称がありました。

 岡田資中将が、第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官を務めていた1945年5月14日の名古 屋空襲(※2:写真④)の際、撃墜され捕虜となった米軍のB‐29爆撃機搭乗員27名を自らの命令 (旧陸軍内での法的根拠は与えられており、私的制裁の類ではない)で処刑しました。戦後、国際法違反 (捕虜虐待罪)に問われ、B級戦犯(※3)として連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に逮捕 され、軍事裁判(横浜法廷)に掛けられました。



 (※2)B‐29爆撃機440機による空襲で旧国宝の名古屋城が炎上家屋21,905棟が被災 した。66,585人が罹災し、死者338人、負傷者783人に上りました。 (※3)À.平和に対する罪、B.(通例の)戦争犯罪、C.人道に対する罪の3つの罪が記載されたが、 英語原文でこれらがABC順になっているため、項目 À の平和に対する罪で訴追された者を「A級戦犯」と 通常の戦争犯罪を「B級戦犯」と呼びます。


 私の母方の一族は、戦前戦中は非常に裕福な一族でした。曽祖父(写真⑧)は満州ハルビンの税関関 長(写真⑥⑦真中の子供(叔父)を抱えている人物)で、大阪市内に多数の店舗を展開しており(写真 ⑨)、市内に今でいう大豪邸を構えていたそうです。(部屋は20を優に超えていたそうな!)その後大阪 大空襲(写真⑤)によって大阪砲兵工廠近くの家屋敷は焼夷弾で跡形もなく燃やされてしまったそうです。その後長男(叔父)は学徒出陣で海軍特攻隊へ、女学生だった長女は女子挺身隊で砲弾工場へ勤労奉 仕、その他の兄弟は奈良県の富雄に疎開(写真⑩母は前列右端)しました。真面目に軍と政治家の呼び 掛けに応じた祖父は、貴金属を軍隊に拠出し、戦後は何も残らず、戦後復興の中辛酸をなめたそうです。


 母は奈良の疎開先で米軍艦載機(憎っくきグラマンF6Fヘルキャット:写真⑪)の機銃掃射にあい、 死にかけたことを84歳になる今でも鮮明に覚えているらしく、我々に語ります。当時9歳の少女を平気で殺 戮しようとする米兵のことを「鬼畜米英だ」と宣います。そのくせ戦後は米国俳優の「ゲーリー・クーパー(写真 ⑫)」にはまっていたそうですが。





 話は戻ります。戦犯裁判での岡田中将は米軍による空襲について、「一般市民を無慈悲に殺傷しようとし た無差別爆撃である」「搭乗員はハーグ条約(※4)違反の実行者としての戦犯であり、捕虜ではない」と 徹底的に主張しました。岡田中将自身は、これを『法戦』と位置づけて、検察や米軍関係者による爆撃の正 当性の主張を論破しました。そして部下19名の無罪を唱え、全ての責任は司令官である自分(岡田中将) 人に帰属することを徹底して主張しました。


 (※4)大正12年(1923)、オランダのハーグで米英仏蘭伊日の会合が持たれ、「爆撃は軍事目標 に対して行なわれた時のみ適法とする」という宣言がなされていました。米軍はそれを「日本の軍需工場は家内 工場で一般家屋で生産している(全く根拠のない主張)」とこじつけ日本全国114都市を爆撃して、焼 夷弾で焼け野原にし、原爆を2発も落としたのです。


岡田中将の言葉

「敗戦直後の世相を見るに言語道断、何もかも悪いことは皆敗戦国が負うのか? 何ゆえ堂々と世界環視 のうちに国家の正義を説き、国際情勢、民衆の要求、さては戦勝国の圧迫も、また重大なる戦因なりしことを 明らかにしようとしないのか?」 「要人にしていたずらに勇気を欠きて死を急ぎ、或いは責任の存在を弁明する に汲々として、武人の嗜みを捨て生に執着する等、真に暗然たらしめらるるものがある」


 敗れたからといって、すべての非を押し付けられても仕方がないというのではないはずであり、責任 ある立場にある者こそ、主張すべきことは断固主張すべきであると、岡田中将は主張したのです。

 

 法的正当性を論理的に主張、部下をかばうその毅然とした態度に、米国人弁護士だけでなく、米国人検 事も動き出します。彼らは嘆願書を出したり、「終身刑が相当である」とする意見書を出すなどして、岡田中将 の死刑執行の免除を求めたといわれています。しかし、死刑判決は覆ることなく、絞首刑による死刑が昭和2 4年9月17日に執行されました。

 

 マッカーサーは戦勝国の意地として、岡田中将の主張を認めるわけにはいかなかったのだといわれています。 岡田中将の人柄につき、戦犯として獄中で過ごした人物からの評価が下記のとおりです。

⑩ ⑪ ⑫


「こういうところ(巣鴨プリズン:刑務所)にくると人間の地金が出るのである…。ほんとうに尊敬を受けた人 として知られた人は今村均元大将(本コラムの第5回目で登場)と、死刑になったが元東海軍司令官の岡 田中将であった」。


 これは大蔵官僚でA級戦犯として巣鴨プリズンに入り、戦後は衆院 議員、法務大臣を歴任した賀屋興宣氏の証言です。賀屋氏は、軍幹部としてかつて偉そうにしていた者たちが、刑務所でいかにだ らしなかったかに触れ、その対極にいた2人の男の名を挙げたそうです。 また、岡田中将に対しては、巣鴨プリズンに戦犯容疑者として収容されていた、後の日本船舶振興会(現 日本財団)会長、笹川良一氏(「世界は一家人類はみな兄弟」のセリフとコマーシャルで昭和の人には有 名!)のこんな証言も残されています。


「死刑が決まって平然と過ごしていたのは岡田中将ただ一人だった。巣鴨プリズンでは卑屈になる軍人が多い 中、岡田中将は散歩の際も、うなだれることなく、顔を上に挙げて歩いていた」と仰っていたそうです。

 さらに「あっぱれなり岡田中将。全く頭が下がるほど、立派であった」と笹川氏は語っていました。

 自己の信念に基づいて生きている人間の生き様は、周囲の人のリスペクトを得られるのでしょうね。藤田まこ と主演の「明日への遺言」、私は当時勤務していた損害保険会社を退職し、テレビや映画を殆ど見ておりませ んでした。 コロナで外出を控えなければならない状況ですので、近々この映画をゆっくりと視聴したいと思います。  リーダーの責任の重さと、責任の取り方とはどのようなものなのかを、じっくりと感じてみたいと考えております。

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