大東亜戦争から学ぶリーダーシップ⑳

query_builder 2021/02/15
歴史編

 第20回目は、吉川潔海軍中佐①(きっかわ きよし、1900年 (明治33年)11月3日 – 1943年(昭和18年)11 月25日)は、日本海軍の軍人。戦死後、二階級特進して海軍少将。 広島県広島市段原町出身。海兵50期)です。



 吉川潔中佐は、「不滅の駆逐艦長」といわれ、私を含む軍事マニアの 中では知る人ぞ知る、戦の天才です。連合軍が恐れた日本の五人の提 督の中の一人です。

 「五人の提督」とは、小沢治三郎 / 山本五十六 / 吉川潔 / 山口 多聞 / 草鹿龍之介 の5名で全て海軍です(大東亜戦争*別名: 太平洋戦争では、米軍は専ら太平洋で日本軍と戦ったためと思われま す。)

 五人の提督の中で、吉川中佐だけが当時の階級が中佐でした。吉川中佐は、広島の広陵中学校に 進学しましたが、兄とともにずっと級長をつとめました。 その後海軍兵学校を受験しますが、身長が低く小柄(一説によると成人時:154cm)であった ため、身長と胸囲の不足で不合格になってしまいました。その口惜しさから、器械体操と陸軍被服廠での 積荷作業で体を鍛え上げ、翌年海軍兵学校に合格しました。








 吉川中佐は、大正11年6月に海軍兵学校卒業する と、「長月②」の水雷長などを経験した後「春風③」「弥生 ④」「山風⑤」「江風⑥」と4つの駆逐艦長を勤めています。 戦闘の指揮を執るときは専用の台の上に立ちました。背 が低かったため、部下を殴る時も飛びあがって殴ったそうです。 昭和7年1月、第一次上海事変発生時、吉川中佐 は第一水雷戦隊「長月」の水雷長として参戦しました。 このとき、佐世保から出撃した駆逐艦隊が陸兵を乗せて、 呉淞(ウースン)鉄道桟橋へ敵前横付けしました。


 その際、一番艦「皐月」に乗っていた海兵同期の右近六 次(ありちか・むつじ)大尉(当時)が、ふと「長月」の艦橋 を見ると、吉川大尉(当時)が鉄かぶとの下で眼玉を光ら せている姿が見えました。機銃弾は矢のように飛んできて防 弾板にあたり、カチカチと鋭い音を立てているそのとき、ふと顔 が合うと、吉川大尉はまるで戦場にいることを忘れたように白 い歯を見せてニコニコ笑ったそうです。さすが剛胆な右近大尉 も、吉川大尉の胆のすわっている姿に驚嘆したそうです。


 さらに見ていると、吉川大尉のいるところだけが一段と高く なっている。特製の踏み台の上に立っていたのです。背が低 いからといって、何もそこまでしなくても見えるはずですが、こ れも吉川大尉の敢闘精神の現われだと、右近大尉は感心 したそうです。


 右近大尉は、のちにキスカ島撤収作戦(当コラム20 19年7月号記載)で先任参謀として木村昌福(きむ ら・まさとみ)司令官を補(たす)けた人物です。


 昭和15年40歳で中佐に昇進した吉川中佐は、駆 逐艦「大潮⑦」の艦長となりました。


 艦長としての吉川中佐は、恐れを知らない豪胆さと、決 して偉ぶらない人柄、部下に対する思いやりの深さで、部下 乗組員から尊敬され、慕われていたようです。


 艦の中で最年長だった吉川中佐は、どんなに苦しい戦い の時でも明るさを失わず、乗員の中へ気軽に入り、笑いの 渦を巻き起こしながらも一本筋金の入った厳しさがあり、艦 には「この艦長の為なら」という気風が漲っていたそうです。 昭和17年2月バリ島沖海戦で吉川艦長の指揮する駆 逐艦「大潮」は、僚艦と協力して巡洋艦3隻、駆逐艦7 隻からなる米蘭の連合艦隊に対し、4回にわたって戦いを 挑みました。


 オランダの駆逐艦ピートハインを砲と雷撃で撃沈し、更に巡洋艦3隻を中破、駆逐艦3隻を小破という 大金星をあげています。この海戦でビートハインを撃沈したとき、ボートで漂流中の敵兵10名を「大潮」が 発見、これを救助して、のちにマカッサルの捕虜収容所に送り届けました。


 ところが、一カ月ほどして、収容所長から食糧不足で困っているという話を聞くと、吉川中佐は部下を引き 連れ、すぐ煙草、菓子、食糧などを、持てるだけ持って収容所に赴き、これらを捕虜に与えました。捕虜の 先任将校の若い少尉は、彼を見る吉川中佐の目は、自分の息子を見るような温かいまなざしであったと感 謝したそうです。


 当コラム2020年7月号に登場された、<海の武士道>とイギリス海軍から評価された優れたリーダ ーの一人である「工藤俊作中佐」と同様、吉川潔中佐のこの振る舞いも、我が国の真のリーダーと呼ぶに相 応しいものです。



 同年4月、吉川中佐は一時内地に帰還、駆逐艦「夕立⑧」の 艦長に異動となります。


 8月末「夕立」に乗った吉川中佐は、ソロモン海北西の島を基地 にして、後に全滅する陸軍一木支隊(北海道出身の連隊)の兵 員をガダルカナル島に上陸させる任務を負っていました。


 以来、第三次ソロモン海戦開始までの2ヶ月半「夕立」は、危険な海域をガダルカナル島に18往復も しています。いわゆる駆逐艦輸送作戦(鼠(ねずみ)輸送)です。


 うだる暑さ、絶え間ない空襲、2時間と寝る事のできない不眠という悪条件の中で一回に約150名 の陸兵と15~30トンの武器、弾薬、食糧を回送しています。


 輸送作戦に従事していた9月4日陸軍兵をガダルカナル島に揚陸した後、米軍に占領されたヘンダーソ ン飛行場を発見した「夕立」は、これを砲撃して大打撃を与え、更に駆逐艦2隻を撃沈しています。


 当時部下であった看護長の奥村忠義二等看護兵曹は、吉川中佐から言われた事を記憶しています。 「なぁ奥村、俺は死んでも代わりがある。だがな、お前が死んだら誰が病気やけがの面倒をみてくれるんだ? 奥村、お前は体に十分注意しろよ」と。

 軍医や看護長は陸海軍共皆が大事にしたが、激しい戦時中でのことです。奥村兵曹はこの言葉に涙し たそうです。


 さらに昭和17年11月12日深夜、第三次ソロモン海戦でルンガ岬沖に進出した日本艦隊を、キャ ラハン少将率いる米艦隊が待ち伏せしていました。吉川中佐は僚艦の「春雨」と共に2隻で米艦隊に向け て猛突進を敢行。


 米艦隊は、この2隻の駆逐艦との衝突を避けようとパニックに陥ります。パニックに乗じて、後方にいた日 本側戦艦が先制砲火を開始します。これを確認した吉川中佐は艦を反転させると、日本の主隊と交戦を 始めた敵艦隊の真っただ中に「夕立」を進め、敵艦隊の最後尾に入ります。 「春雨」はそのまま離脱。「夕 立」は敵艦隊に手当たり次第に砲撃を仕掛け、米巡洋艦「アトランタ」に魚雷2本を命中させて航行不能 に陥らせ、次いで至近距離から米旗艦「サンフランシスコ」に多数の命中弾を浴びせます。「夕立」単艦で巡 洋艦2隻撃沈、2隻撃破、駆逐艦1隻撃沈、3隻撃破という恐ろしい戦果をあげました。その為米軍か らはソロモンの悪夢と呼ばれています。


 この戦闘で吉川中佐は、頭と顔、それに肩、腕などを弾片でえぐられ、鮮血で全身真っ赤になりましたが、 部下の手当が終わるまで、「俺にかまうな」と言って、看護兵を近づけませんでした。駆逐艦「五月雨」が救 助に近づいてきて生存者93名を移乗させ、最後に血だらけの吉川中佐が、足どりも軽く乗り移っていった といわれています。


 真夜中の戦いが終わった時、「夕立」は、多数の砲撃を満身に浴びて航行不能となりましたが、この海戦 における吉川中佐の働きは、その旺盛な攻撃精神、卓抜した戦闘技法、まさに駆逐戦隊の華と称えられ、 吉川中佐の駆逐艦の戦いぶりは、世界の海軍史を通観してもこれに匹敵する事例を他に見出せないもの とされています。


 吉川中佐の戦歴は、全海戦で8隻を撃沈、12隻撃破という輝かしい戦果ですが、吉川中佐は戦果 を誇ることは一切しない人でもありました。 最終的には戦艦2隻他多数の艦艇を失った日本海軍の負けと認定された第三次ソロモン海戦ですが、 その際の戦火を交えた日米両軍の軍人が、戦後の沖縄復帰前のパーティーでスピーチを求められました。


 「我々日本海軍軍人だった者は、米海軍がいかに勇猛で突撃精神を持っているか、またどのような任務 にも全力で向かうことを知っている。だから米海軍は信頼できると思っている・・・。」


すると米軍側はこう答えたといいます。


「我々も日本海軍が、どんな困難な任務でも命をかけて最後までそれを果たす海軍であることをよく知っ ている。だからこそあなた方を信頼できると思っている・・・。」


 パーティーの場の社交辞令というより、戦場でまみえた者同士のみがわかちあえるものを感じます。共に全 力で戦ったからこそ、戦後の日米間の信頼関係、特に米軍と自衛隊の信頼関係は強固なものとなったもの と思います。戦闘の際にアジアの他国のような、敵前逃亡や卑怯な振る舞いや潔く無い振る舞いは有りませ んでした。我が国の命運をかけて戦っていただき、敵国からも信頼された先人たちに、心から感謝したいと思 います。




 ソロモン海戦から帰投した吉川中佐は、エリートコースの海軍兵学校 教官への転任を断り、現場を望み、駆逐艦「器に格段の差が開いてしまったのです。夜間に初弾(最 初に打った弾)が命中するなど、当時の日本海軍では想像もできないことでした。

 功績を認められた吉川中佐は、戦死後、駆逐艦長としてただ一人、二階級特進の栄誉を担い、少将に 昇進しています。


 享年43歳でした。 合掌!

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