大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㉒

query_builder 2021/04/15
歴史編

 第22回目は、前田 精(まえだ ただし、1898年3月3日 – 1977年12月13日: 写真①②)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将 海兵46期です。

 前田少将は、1 945年8月17日のインドネシア独立の平穏無事な実現に重要な貢献をしました。栄典はインドネ シア共和国建国功労章。兄は大本営海軍報道部長、第10航空艦隊司令長官前田稔海軍中将 (41期)です。 前田少将は、鹿児島県姶良郡加治木村小山田(現姶良市加治木町)出身です。鹿児島県立 加治木中学校(旧制)卒業後、海軍兵学校に入学(第46期)、同期生に山階宮武彦王(やましなの みや たけひこおう:皇族で初の航空隊所属・「空の宮様」)、猪口敏平(戦艦武蔵(むさし)艦長) らがいます。



 1918年(大正7年)11月21日海軍兵学校卒業し、翌年8 月、少尉に任官しました。軍人としてのキャリアの多くは軍政官等、現場には余 り縁がありませんでした。オランダ公使館付武官・大本営海軍参謀、バタビア在 勤武官を歴任し、1945年(昭和20年)に海軍少将およびジャカルタ 在勤武官となりました。その間、現地で、独立養成塾を設立して、前途有為な インドネシアの青年たちに、愛国主義教育と軍事訓練を施し、後のインドネシア 独立戦争に貢献しました。


 終戦翌日の8月16日、スカルノとハッタを自らの海軍武官府公邸(写真 ②③)に受け入れ、インドネシア独立宣言の打ち合わせを行いました。オランダ 軍が帰ってくる前に、インドネシア独立宣言を起草するためです。

 会議は16日23時から始まり翌17日の午前2時過ぎまで続きました。出席者は50人を超え ており、多数の青年グループ達が会議の結果を公邸外で待っていました。日本人は前田少将の他に日 蘭商業新聞記者・吉住留五郎氏、第一六軍軍政監部司政官・三好俊吉郎氏、海軍嘱託・西嶋茂


 忠氏が同席していました。このことは、独立に消極的だった陸軍の軍政監当局および憲兵隊の直接の 影響が排除された場を提供したことを意味しており、これによってインドネシアの独立指導者たちから高く 評価される結果となりました。


 この会議に先立ち前田少将は、陸海両軍の責任者がインドネシアの指導者と直接協議することによ り解決の道を早めようとしたため陸軍の代表である軍政監・山本茂一郎少将に電話で来邸を要請まし たが、連合国側への刺激を恐れた山本少将はこれを拒否しました。なぜならポツダム宣言を受け入れた 日本政府と日本陸海軍は、連合国に全ての施政権、武器、弾薬を引き渡すことが決まっていたからで す。本来ならば、施政権を全てオランダ政府に引き渡すことになっていましたのでやむを得ない判断です。


 8月17日の午前3時、日本の本会議参加者は、インドネシア側の独立準備委員会の決定を黙 認(積極参加は当時の立場上不可でした)した態度を示すべく起草過程に関与せず、前田少将も 会議の場を離れ、敢えて二階で就寝したのです。 連合国からの糾弾は全て引き受ける覚悟の行動で す。 前田精少将は、太平洋戦争期に蘭領東インドに駐在し、インドネシア民族の闘いに共感をもって いた将官でした。インドネシア独立宣言において彼が果たしたこの役割は大変重要でした。個人として彼 は自らの海軍武官府公邸を独立宣言起草のために使用することを認めて、宣言を発することを支援し たのです。公邸にいる限り、スカルノ、ハッタはじめ50名のメンバーの安全は保障されます。この切迫した 時局において、前田精少将は高貴なる徳義を示したといわれています。


 前田少将はその後、1946年4月にグロドック地区(西ジャカルタ)の刑務所へ拘置されまし た。そして1947年に釈放され帰国しました。 8月17日の早朝、スカルノがそこで起草した独立宣言に は、手書きで皇紀(26)05年8月17日と日付が打っ てありました。スカルノは、初代インドネシア大統領となり、ハッタ は副大統領となりました(写真④)。



 前田精少将はお亡くなりになる前年の1976年(昭 和51年)、インドネシア国家・国民へのたぐいまれな貢献 の栄誉として同国建国功労章を授与されています。 そして1977年(昭和52年)12月13日死去されました。享年79です。


 現在、旧前田邸(写真③)は、1992年から独立宣言起草博物館として保存され、一般公開 されています。私もコロナ終息後に、ジャカルタを訪問し、この記念館を訪れたいと思っております。

 そもそもインドネシアの各地は、古来、貿易中継地点として栄えてきましたが、かつては人口が少なく、 また、胡椒を産出することから、すでに大航海時代にオランダに征服され、植民地となっていました。19 ④右がスカルノ、左がハッタ 社会保険労務士法人ブレイン・サプライ 39年9月、第二次世界大戦が始まり、半年後、オランダはナチス・ドイツに屈服しました。1941 年12月、対米開戦に踏み切った日本軍は、直ちにインドネシアになだれ込み、当地を占領しました。 日本の軍政が、聖将今村均大将の仁政から始まったのはインドネシアにとって幸運でした。


 (本コラム2019年9月号 https://www.brain-supply.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/daitoa-5.pdf )


 当時、無数の島と無数の言語からなるこの国の人々を組織化し、自由と独 立のために戦うことを教えたのは日本軍でした。インドネシア独立軍兵士の中 には、足袋を履いて、ゲートル(巻脚絆)を巻き、日本陸軍兵士と同じ格好 をした者もいました。インドネシア人は、自由と独立を「ムルデカ」と呼んでいまし た。その独立のための戦いを描いたのが山田純大主演の映画「ムルデカ17 805(写真⑤)」です。山田純大といえば私の中では「半沢直樹」の中の “タブレット福山”のイメージが強いですが、この映画ではインドネシア独立のた めに命を懸けて戦う日本軍の若きリーダー島崎中尉を演じています。調べてい て分かったのですが、杉良太郎の息子さんだったのですね、びっくりです。この映 画を是非多くの皆さんに観ていただきたいと思います。



※YouTube で無料視聴できますので、お時間があるときに是非ご視聴ください。おすすめです!

https://www.youtube.com/watch?v=AlncM3Q_O2Q


 日本の敗戦後、約2千名の日本軍人が、様々な理由から、家族の待つ 祖国へ戻ることを拒み、インドネシアに残留して、帰ってきたオランダ軍と独立 戦争を戦うことを選びました。彼らの多くは、戦争経験のない現地兵を率いて 最前線で戦い、その多くがインドネシアの土となり、祖国では忘れ去られまし た。



 独立戦争では、スディルマンという名の若者が、インドネシア独立軍の最高 司令官でした。肺結核を病み、瀕死のスディルマンは、ジャワ島の山中を粗末 な籠に乗って駆け巡り、ゲリラ戦を続行して、      

 インドネシアに独立をもたらしまし た。彼の籠は、今もジャカルタの軍事博物館に残されています。スディルマン は、30歳になる前に死にました。時代に求められ、役割を果たして散ってい く、まるで坂本龍馬や高杉晋作のような生き様です。 インドネシアから寄贈された彼の銅像は、市ヶ谷の防衛省の中に、 今も静かに立っています(写真⑥)。インドネシア国外では、これが 彼の唯一の胸像です。




 インドネシアは3億人の人口を有する巨大国家となりました。スマトラ島から、パプアまで、北米大陸 ほどの幅があります。 スカルノ大統領(写真⑦)は、建国の理念を「パンチャシラ」という名の独立原則にまとめ上げ、ヒンドゥ ー教、キリスト教に配慮して、イスラム教を国教とせず、唯一神への信仰、国家統一、民主主義、人道 主義、社会的公正を掲げて、寛容な国づくりを目指しています。

 そのスカルノ大統領の第3夫人があの有名なお笑い芸人!?の「デビ夫人(写真⑦⑧)」です。どうし ても日本人を妻に迎えたいとのたっての希望で選ばれた「アジアの宝石」でした!

 独立後、インドネシアは見事に発展を遂げました。多民族国家でありながら、輝くような民主主義国家 となり、いずれ日本のGDPを超えることでしょう。今では高層ビルが立ち並び、車とオートバイが道を埋 め尽くす街の一等地に、祖国を捨てて密林の中で戦い、ムルデカの原点に埋められた幾多の残留日本 軍人の墓地(写真⑨)があります。ここも是非訪れたい場所の一つです。



 <宣言> 我らインドネシア民族はここにインドネシアの独立を宣言する。 権力委譲その他に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。

ジャカルタ、05年8月17日

インドネシア民族の名において スカルノ / ハッタ


 オランダはインドネシアの独立を許すにあたり、その代償としてインドネシアはオランダに対して60億ド ルを支払うこと、オランダ人所有の土地財産は保全すること、スマトラ油田を開発するのにかかった費用を 弁済することなどを要求し、呑ませました。

 これがオランダの350年間にわたる植民地支配の決算の仕方でした。

 それに引き換え、日本の国家予算の10%以上を食いつぶし、戦後8億ドルを援助でむしり取り、多 くの技術支援に対しても感謝せず、未だに賠償・賠償と騒ぐ隣人に、是非このインドネシアとオランダの決 算の仕方を見習ってほしいものですね!



NEW

  • 負け戦の要因と虚偽報告‼

    query_builder 2021/07/23
  • 大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㉗

    query_builder 2021/10/23
  • 大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㉖

    query_builder 2021/09/23
  • 大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㉕

    query_builder 2021/08/23
  • 大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㉔

    query_builder 2021/06/16

CATEGORY

ARCHIVE