大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㉓

query_builder 2021/05/15
歴史編

 第23回目は、久納 好孚(くのう こうふ、1921 年1月15日 – 1944年10月21日写真①~ ③)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級 は海軍少佐。未帰還になった神風特攻隊大和隊の隊長 であり、本来の特攻第一号は久納中尉とされる。 今回この久納中尉を取り上げましたのは、官僚組織で あった海軍という一組織の名誉の維持のために、自らの戦 死の背景も含めて歪められ、その素晴らしい功績を他に 奪われてしまったこと、そして、そのような嘘がまかり通る組 織は滅ぶということをお伝えすることが目的です。



 【通説】

神風特別攻撃隊は関行雄大尉を総指揮官に、敷島隊、大和隊、朝日隊、 山桜隊の4隊から構成されました。隊名は、国学者の本居宣長の、

「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」から取られたものです。 (大和心(魂)とは、柔軟な、人間のことをよく知った智恵) (大和心とは何かと人が尋ねるなら、朝日に照って輝く山桜の花であるとこ たえよう)







 1944年10月21日朝、マニラ沖に敵艦隊発見の報を受けて、敷島 隊・朝日隊の二隊が9時にマニラ近郊マバラカット西飛行場を発進しました。久 留米篤三特務大尉(兵から昇進した将校を差別して特務と呼んだもの:組織 内差別)によれば、神風特攻隊兼敷島隊隊長の関行男大尉(写真④)が 先に出撃したと聞いて、久納中尉は「なんで俺を最初に出してくれないんだ」と不 平を言っていたという。結果的に敷島隊は敵機動部隊を発見できずに基地に戻 ってきました。その後出撃を重ね、敵を発見し、体当たり攻撃を敢行したのは1 944年10月25日のことでした。


 10月21日午後、セブ島にも「敵機動部隊発見」の報告があり、中島中佐 (飛行長)は即、大和隊(隊長・久納中尉)に出撃を命令、整備員からは今 までの経験則から40分で出撃準備が完了するとの報告があったそうです。中島 中佐はその報告を聞くと、出撃する久納中尉らと航空図を見ながら打ち合わせを 行っていましたが、この日は整備士が迅速な作業をしたので、わずか10分で出撃 準備が完了してしまいました。中島中佐は滑走路に爆装(250キロ爆弾装 備)した零戦が整列している状況は危険と慌てたが、打ち合わせや注意事項の 大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㉓ ① ② ③ ④ 言い渡しが終わっていなかったので、端折ってこれを完了(実際には長々と自説ぶ って大幅遅延)させ、いざ出撃と久納中尉らが機体に乗り込もうとした矢先、アメ リカ軍の艦載機が来襲してきました。201空はそれ以前にも「ダバオ誤報事件」 の際に、同じセブ島で、地上で多数の零戦を撃破されるという失態を演じていまし たが、約1ヶ月後も同様の失敗をして、地上に並べていた6機の零戦が撃破され たそうです。幸いにも搭載していた爆弾が誘爆することはなく、特攻隊員に死傷者 が出なかったので、中島中佐はただちに予備機による出撃を命じ、2機の爆装零 戦と1機の護衛が準備された。爆装零戦に搭乗するのは久納中尉と大坪一男 一等飛行兵曹と決まりました。出撃前、久納中尉は中島中佐に、


「私は戦果を新聞やラジオで発表してもらうのが目当てで突入するのではありません。日本軍人とし て、天皇の為、国家の為、この身体がお役に立てば本望であります。」「いまは飛行機が足らないときで す。わざわざ直援機をつけるのはもったいない話です。どうか特攻機だけでやらせて下さい。」


と直談判したとのこと。中島中佐が護衛戦闘機は新聞やラジオでの宣伝が目的ではなく、作戦資料として 実態を把握したいだけと説くと、次に久納中尉は「零戦の機銃を外して下さい。突入するのに機銃は不要 です。外せばそれだけ軽くなり、スピードも出ます。25番(250kg爆弾)を抱くと航続距離も短くな るから、機銃は外した方がよいでしょう。」と申し出、それに中島中佐が突入するまでは敵戦闘機に発見され たら空戦で切り抜けねばならないから、機銃は外せないと説くなど、出撃直前まで押し問答をしていたとのこ と。出撃の時間となると久納中尉は諦めて、


「敵の空母が見つからぬときは、私はレイテ湾に突入します。レイテに行けば獲物に困ることはないでし ょう。」


と言い残し、16時25分に2機編隊で1機の護衛機を連れて出撃したと記録されています。

 途中で攻撃隊は天候に阻まれて、特攻の大坪一飛曹機と護衛機はセブ島に帰還しましたが、隊長の 久納中尉機は帰還せず、行方不明となったとのこと。突入との打電もなかったが、出撃前に中島中佐にレ イテに向かうと誓っていたので、そのままレイテ湾に向かったと見なし、中島中佐は、「本人の特攻に対する熱 意と性情より判断し、不良なる天候を冒し克く敵を求め体当り攻撃を決行せるものと推定と報告したそうです。

 この久納中尉の未帰還をもって「特攻第1号」は関大尉ではなく、久納好孚中尉を未確認ながら第1 号とする主張も戦後現れました。第一航空艦隊航空参謀・吉岡忠一中佐によれば、


「久納の出撃は天候が悪く到達できず、山か海に落ちたと想像するしかなかった」「編成の際に指揮 官として関を指名した時から関が 1 号で、順番がどうであれそれに変わりはないと見るべき」(注1)


と主張。軍令部部員・奥宮正武中佐によれば、久納機未帰還の発表が遅れたのは、生きていた場合のこ とを考えた連合艦隊航空参謀・淵田美津雄大佐の慎重な処置ではないかといわれます。また、久納中尉 ⑤ が予備学生(法政大学在学)であったことから予備学生軽視、海軍兵学校重視の処置ではないかとす る意見に対し、「当時は目標が空母で、帰還機もあり、空母も見ていない、米側も被害がない(実際には 被害がありました(下記参照))ので1号とは言えなかったとのこと。10月27日に目標が拡大(空 母以外も対象)したことで大西瀧治郎長官が加えた」と話しています。

 

 同盟通信の報道班員・小野田政 によれば、201空副長・玉井浅一中佐から久納中尉が新聞に書かれないことがかわいそうだから書い てくれと頼まれたといいます。玉井中佐は人情家で、戦果がはっきりしないからという理由で久納中尉が 報道されないことを気にしていたとのこと。(注2)



 この日の連合軍の損害はオーストラリア海軍の重巡洋艦 「オーストラリア写真⑥⑦」が特攻により損傷し、「オーストラ リア」はこの特攻でエミール・デシャニュー艦長とジョン・レイメン ト副官を含む30名が戦死するなど大きな損害を受けました が、これを久納中尉の戦果という意見もあります。


 1944年11月13日、久納中尉は特攻戦死として 全軍布告(布告第71号)され、少佐に二階級特進しまし た。(注3)


【実際】

 私は小学3年生のころから約50年間、国内外の歴史博物館や郷土博物館、1000冊を超える 軍事関係書物、元軍人からのヒアリング、TV、(記録)映画などを観ることをライフワークにしてきました。 どうすればあの壮大な、世界を相手にした戦で、我が国が勝つことができたのかを真剣に研究しました。この テーマで様々な角度、方向から客観的に事実を追求していくこと、現在・過去・未来を念頭に、歴史の一 貫性と負け戦からの研究は、結果的に、現在の経営コンサルタントとしての道に繋がっており、その間に多く の専門性が磨かれたのですから、人生は何が幸いするか分かりませんね。  

 ただ残念なことは、幼少の頃は大日本帝国海軍に憧れ、赤紙(召集令状)一枚で多くの将兵を徴兵 して、戦病死させた陸軍を嫌っていたことが、実は間違いであったことです。理系集団の海軍の方がより閉鎖 ⑧ ⑥ ⑦ 的、封建的で官僚体質だったことです。更に海軍の方が宣伝戦に巧みで、陸軍の暴発で戦争が始まったと、 海軍善玉説が私の中で覆されたことです。


 2013年のヒット作「永遠のゼロ(岡田准一主演:写真⑨)」を観 て、主人公の宮部久蔵のモデルが複数いることも、どの搭乗員を参考にし たシーンであるかもほぼ分かりました。その軍事オタクの私が、最も納得のい かないこと、それは神風特別攻撃隊の敷島隊隊長関行雄大尉が特攻第 一号として国内外に喧伝されていることです。







 上記【通説】の矛盾点が長らく気になっていましたが、今から十数年前に 読んだ「あゝ青春零戦隊(写真⑩⑪)小高登貫(こたかのりつら)上等 飛行兵曹」P.207~218の中に、関行雄大尉の敷島隊に先立つ こと4日、日本ではじめての神風特別攻撃隊である久納中尉率いる特 攻隊の7機が、10月21日セブ島基地から出撃したのを見送ったと 書かれていることです。セブ島からレイテ沖までは目と鼻の先です。ちゃん と戦果確認機も付いており(当然のこと)、久納中尉、国原少尉以下 下士官兵が出撃し、駆逐艦、輸送船、巡洋艦(写真⑥⑦)などに6 機全機が命中した。と、帰ってきた戦果確認機の鈴木上飛曹に聞いたと はっきりと記載されていました。鈴木上飛曹は「最後までみんな元気いっ ぱいだった。笑顔で手を振って、急降下に入る、あの姿は本当の神さま だと思った。あの笑い顔を見ると自分も引き込まれるような気持だった。」 と感想を語りました。


 小高登貫上飛曹は敵機撃墜105機(共同戦果含む)、潜水艦 2隻撃沈のベテラン搭乗員で、ラバウル航空隊の大戦果(69機撃墜、 全機帰還:日本ニュース194号 9分20秒の最後のシーンで、日 の丸を頭に蒔いて、ご褒美の日本酒を抱えて登場します。写真⑪)


 このようなベテランパイロットが、自身が志願した特攻隊の最初の出撃 の状況を、誤って伝えることはよもや有り得ないと思います。


※YouTube https://www.youtube.com/watch?v=QoDmXXK5rE8


 この本を読んだときに、目の前が真っ暗になりました。P3(注2)の青文字の個所をお読みください。当 時上官であった玉井浅一中佐は、第201航空隊副司令官ですので、久納中尉の率いる大和隊の戦 果報告を受けた側です。久納中尉他全6機の体当たり攻撃の報告を受けておきながら、それを握りつぶし たのではないでしょうか。その負い目からか、通説による、戦果がハッキリとしないとしながらも、久納中尉を、 通常ではありえない二階級特進(注3)としたのではなかったのかとの疑問が脳裏に浮かんできました。


 許し難いのは、第一航空艦隊航空参謀・吉岡忠一中佐の発言(注1)です。戦果報告を握りつぶし ておきながら、「海か山に落ちたと想像するしかなかった」と主張しています。ふざけるなとの思いでいっぱいで す。


 今も特攻攻撃の第1番は検証されることなく、敷島隊の関行男大尉(写真④⑤⑧)となっています。 国内外では歴然とした事実と捉えられています。


 戦いは常に最前線の兵が行います。戦国時代の雑兵が一生懸命死に物狂いで戦ったのは、例え戦死し ても、我が殿が残された一族郎党を引き立ててくれるとの、確固たる信頼関係が構築されていたからです。 それに引き換え、大東亜戦争における帝国陸海軍の指導者たちの組織優先、自己保身の思想の情けな さは目も当てられません。


 しかも、国民が軍隊嫌いになってしまい(様々な勢力の画策もありますが。)、未だに戦後76年、自 衛隊が創設されてから67年間もの間、常に危険な訓練と災難救助によって命の危険にさらされながら、 国民の生命の維持・救済のために活動する自衛隊員に対するリスペクトもない状態となってしまいました。


 結果的に国民の信頼関係を失った官僚組織であった帝国陸海軍は崩壊しました。嘘が常態化し、結 果検証もロクに行わず、傷のなめ合いを行う組織は滅びてしまいます。日本の軍隊は滅ぶべくして滅んだ。 残念な検証結果ですが、私はそのように思います。


 我々は、戦後の我が国を守るべき軍隊である自衛隊を、戦前の組織の利益優先の歪められた軍隊で はなく、本来の国軍として、命懸けで国を守るこの組織に、国民としてエールを送れるようにしていきたい。更 には他国の“伝統ある軍隊”のように、国民として、敬意と感謝とリスペクトを、当たり前のように送れる国にし ていきたいと思います。

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