大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㉕

query_builder 2021/08/23
歴史編

 第25回は、石原莞爾中将(いしわら かんじ、1889年1月18日(戸籍の上では17日)-1949年8月15日 山形県鶴岡市生まれ:(写真①②③)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は正四位・勲一等・功三級、1915年に陸軍大学校に入学、陸軍大学校創設以来かつてない頭脳の持ち主といわれ、次席で卒業(写真④)、卒業論文は、 北越戦争を作戦的に研究した『長岡藩士・河井継之助』(私が最も尊敬する幕末の英雄です!)でした。「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られています。


④前列右から4人目


 当時は、関東軍作戦参謀として、板垣征四郎大将らとともに柳条湖事件・満州事変を起こした首謀者の一人とされ、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気及び反東條の立場が寄与し、戦犯指定を免れたといわれています。

 本稿執筆にあたり、掲載するかどうかを最も悩んだのがこの石原莞爾中将でした。一般的な歴史観では、石原莞爾中将は日本軍国主義の代表であり、極東軍事裁判(東京裁判)において裁かれた1931年の柳条湖事件を機に始まった、満州事変の首謀者というレッテルを張られているからです。しかし本当の評価が必要と考え、敢えて掲載させていただきたいと思います。

 ③石原莞爾中将は、帝国陸軍の中でも卓越した天才的戦略家であり、「戦争の天才」と称されていました。満州事変勃発時の兵力は、関東軍1万人に対し、中国軍は25万人(公安隊を含めると45万人)と圧倒的に不利な状況でした。装備も自動小銃などドイツ軍からの補充を受けた中国軍の方が性能面でも有利でしたが、それをものともせず、僅か5カ月で満州全域を占領、翌1932年に「満州国(写真⑤)」を建国しました。

 1937年7月7日に始まった「盧溝橋事件」での日中の軍事衝突では、戦火は華北地方に拡がり、更には上海・南京へと飛び火し、全面戦争へと拡大していきました。この時、参謀本部作戦部長であった石原莞爾中将は、戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱え軍部中枢と対立しました。更には、後に参謀長の東條英機(注1)との確執から、予備役(現役引退)に回されることとなります。

(注1)石原中将は満州国を満州人自らに運営させることを重視してアジアの盟友を育てようと考えており、これを理解しない参謀長の東條英機を「東條上等兵」と呼んで馬鹿呼ばわりにしたそうです。

 もし石原中将が先の大戦で陸軍の中枢にいて、軍全体を作戦指導する立場にいたら、また対米交渉の中心にいたら、まんまとルーズベルト大統 領に嵌められることもなく、戦争の結果は大きく変わっていたものと思われます。それほどの人材であったと思います。

 石原莞爾中将の考えは、ソ連との戦争を最優先に考えると、今、中国と戦争することは得策ではない。また来るべき「世界最終戦争(注2)」では東亜の一員である中国とも協力してアメリカと対抗しなければならない、と考えていたからです。


 ⑤ 皇帝溥儀からの感状


 しかしながら、現地の部隊にも国内の陸軍中央にも強硬派が多数を占めており、満州事変が5ヵ月で終わった経験から、中国全土を支配するのも短期間で済むだろうという楽観的な考えが支配的でした。また満州事変の首謀者が、不拡大を出張することに説得力は無く、やがて石原中将は不拡大方針を引き下げるしかなくなり、事件から本格戦争へと発展していったのです。

 (注2)近代技術文明の発達に伴って軍事力を及ぼしうる範囲と武器の力が増大し続けている、人類の歴史とは抗争の歴史であり、このようにして軍事力が増大していく以上世界のどこかで強力な国が出現し、他を圧倒するようになっていくだろうと予測。そして、第一次世界大戦はこの流れの中で必然的に起こったものであり、しかしながらその結果の不徹底のため、やがてそれを上回る世界規模の大戦争が起こると予言。戦争発達の極限に達するこの決戦戦争をもって戦争がなくなるのであり、それは決して人間の英知などによるものではなく、そもそも人間の持つ闘争心はなくならないと主張。世界平和という理想を唱えながら、それを実現させていく人間は必ずしも理想的な生き物ではないと捉えていました。  石原中将のユニークさは、第一次世界大戦の次の大戦、すなわち大東亜戦争、が「準決勝」であると考えたことにあります。石原中将は当時の国際情勢を見て、いまだ最終戦争にいたるまでは煮詰まっていないと考えていました。ヨーロッパとアジアには大きな隔たりがあり、それぞれにおける覇権も定まっていないため「決勝戦」にはまだいたらないと考えたのです。そして、その経過の中で東洋文明を代表する「日本」と、西洋文明を代表する「アメリカ」が「決勝戦」を戦うとし、そうした歴史観の元に外交および安全保障を展開しなくてはならない、というのが彼の提唱した「最終戦争論」の特徴でした。


 

 戦後は東條英機(写真⑥)との対立が有利に働き、極東軍事裁判においては戦犯の指名を受けず、東亜連盟結成に奔走しながらマッカーサーやトルーマンを批判しました。東亜連盟の構想は、戦後の右翼思想に大きな影響を与え、また中国や韓国にも支持者が多くあったといわれています。それほどに東亜は欧米列強によって蹂躙され、搾取された歴史があったのです。

 戦後の極東軍事裁判は戦勝国が一方的に敗戦国日本を裁いた「茶番裁判」とも揶揄されています。悲しいことに当時の日本には、それに抗う術は有りませんでした。そのような中、占領国の判事11名や検事は、どうしても東條英機元首相に罪を被せたいと考え、左遷され、退役させられ、東條に恨みを持っているであろう、石原莞爾元中将を召喚しました(写真⑦)。原爆投下という国際法違反の虐殺を行った米国はじめ、戦勝国だけが行う不当なものでした。


 石原元中将は極東軍事裁判で自らも裁かれたがっていました。その際に米国の非道を堂々と主張するつもりでしたが、危険を察知した判事たちが、石原元中将の罪を問わず、証人として仲の悪かった東條元首相の死刑の証言をさせるつもりで、出廷命令を出したのです。

 しかし彼らの目論見は最初から外れ、「俺は病人だ。用があるならお前たちが来い!」と主張し、裁判官たちを東北に出向いてこさせました。裁判で石原元中将は、


石原)「満州事変が発端で起こった此度の戦争の首謀者は俺だ、何故俺を裁かないのだ」と主張し、更に、

石原)「アメリカは日本の戦争責任を遡って追及しているが、いったいいつまで遡るつもりだ!」

裁判長)「日本の行った侵略戦争全てです。出来る事なら日清・日露戦争まで遡りたい。」

石原)「ほう、ならばペリーを連れてこい!日本は鎖国してたんだ。それを無理やり開国させたのはペリーだ!」

暴論ですが、至極真っ当な意見です。法廷は静まり返ったそうです。

裁判長)「あなたは日本の21倍のシナに本気で勝てると思っていたのですか、私には到底無謀な計画のように思えてなりません。」

石原)「勿論あるさ。戦争は数の勝負ではないんだよ。もしこの戦争で私が指揮をしていたら、裁判長、あなたの席には私が座り、ここにはあなたが立っていたはずだ。」


 裁判長も他の裁判官も何も言えなかったようです。何故なら彼らは石原元中将が「戦の天才」であることを知っていたからです。古今東西、45倍の敵に勝てる軍略家など、彼を除いて歴史上いないことは明白だからです。気が付けば裁判長は「石原さん、石原将軍」と敬称で呼んでいたようです。そして核心に迫る証言を求めます。


裁判長)「あなたは東條英機と思想上の対立があったと聞きますが。」

石原) 「無い!」

裁判長)「いやいやそんなはずはないでしょう、あなたは東條と対立していたはずだ」

石原) 「ああ、対立はしていたさ、しかしそれは思想上のものではない。何故なら東條の馬鹿には思想なんてものは無い。私には少なからずあるけどな。」

裁判長)「今回の戦争で、一番罪深い戦争犯罪者、それは誰だと思われますか?」

東條英機の名前が挙がることを期待した裁判長に対して、石原元中将は答えます。

石原)「ああ、それならアメリカ大統領のトルーマンである。」「そうであろう、何の罪もない民間人を20万人も原爆で殺しまくり、それが正義だといえるのか?」「トルーマンこそ最大の戦犯だ!」


 圧倒的な正論でした。裁判長は裁判記録の破棄を命じ、そのまま裁判を終結させました。何故なら今昔も、民間人に対する攻撃は、国際法で禁じられているからです。極東軍事裁判では、日本の指導者の多くが卑屈になり、部下に責任を押し付け、何とか罪から逃れたいとの姿勢が多くみられたようですが、石原莞爾元中将のように日本人としてのプライドを貫いた人物もいたのです。その裁判を傍聴していた多くの日本人から石原莞爾元中将は称賛されたのでした。

 その後立命館大学で国防学の教鞭をとりましたが、後に山形県に隠居し、1949年8月15日の終戦の日に没しました。(墓:写真⑨⑩)



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