大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㉟

query_builder 2022/08/10
歴史編


お陰様で、このシリーズを始めて早3年が経過しました。

1941年の日本の開戦前のアジア・アフリカでは、僅か5カ国しか独立国はありませんでした。アフリカでは唯一イタリアの圧迫を受けながらも独立を維持していたエチオピア、アジアでは4000メートル級の山に囲まれたチベット、英仏の狭間で何とか独立を維持していたタイ、そして沿岸部を欧米列強と日本に租借地として奪われていた中国、その中で、富国強兵・殖産興業を実施して、見事に独立を維持していたのは我が国・日本のみです。アジア・アフリカにおいて、欧米と真正面から戦うことが可能であった国は日本のみでした。

ところが、人種平等を唱え、アジア民族の自尊自立のために行われた大東亜戦争の本質が、我が国の大敗により、戦勝国によって歪められました。日本に全ての罪を負わせた戦後体制の中で、多くの隠ぺい行為が行われ、日本を愛し、日本のために尽くされた先人たちの命懸けの行為は、その多くが現代の日本国民から忘れ去られようとしていました。

そのことに、義憤を感じたことから、敢えて我々が歴史で学んだ、米国から見た「太平洋戦争」ではなく、我が国から見た「大東亜戦争」をテーマとさせていただきました。

当然日本人の軍人を主体に取り上げてきましたが、どうしても敵国であった米国にあって、優れた人徳を備えたリーダーの存在も明確にし、リーダーとはかくありきを実践した人物を取り上げたくなってきました。その人物が、チェスター・ウィリアム・ニミッツ・シニア元帥(通称ニミッツ元帥:写真①②(右側)③④)です。



因みに陸軍元帥であったマッカーサー(写真②左側)は、非常にプライドが高い野心家(大統領選に立候補を望んでいた)であり、今コラムでも取り上げた、陸軍の本間雅晴中将、山下奉文大将はじめ多くの優れた将官を、戦後、私憤で処刑した狭量な精神の持ち主でもある彼のことを、私は余り評価をしておりません。 ①      それに引き換え、私の尊敬するニミッツ提督は、地味な存在ではありましたが、実に有能な実務家で、人心掌握術に長け、人材の抜擢と育成に優れた実績を残し、アメリカ海軍の中で唯一、現役の航空母艦(写真⑤⑥)にその名を冠する人物として、極めて評価の高い人物です。ニミッツ提督の祖父のチャールズはテキサスのジョークの大家でユーモラスな馬鹿話を真に迫って話すのが得意で、ニミッツ提督はこの特技を祖父から受け継ぎ、終生彼の周りは船乗り特有のユーモアで和むことが多かったそうです。



<太平洋艦隊司令長官就任>

1941年12月8日、ニミッツ少将(当時)はワシントンの自宅ラジオの臨時ニュースで真珠湾攻撃を知りました。12月16日にキンメル大将の後任の太平洋艦隊司令長官となるように、とのフランクリン・ルーズベルト大統領の意向を海軍長官フランク・ノックス経由で伝えられますが、ニミッツは臨時長官となっているウィリアム・パイ中将がそのまま長官になるほうがふさわしいとして一旦は断りました。しかし、ルーズベルト大統領もノックス長官もその意見には同意しませんでした。12月18日に新聞にこの人事が掲載され、12月31日に潜水艦「グレイリング」艦上で太平洋艦隊司令長官就任式が行われました。

ここがアメリカの凄いところです。平時は別として、戦争という緊急事態(有事)には、敵に勝つことを最大の目的として、勝つための最適な人材を抜擢するのです。

太平洋艦隊司令長官は大将ポストの為、上院の承認を受け、ニミッツは序列28番目の少将から中将を飛ばして2階級特進で大将に昇進しました。副官アーサー・ラマー大尉のみを伴って就任すると、「真珠湾の悪夢は誰の身にも起こり得た事だ」として必要以上の処罰拡大を避け、幕僚陣はキンメル大将とパイ長官の幕僚をほぼ丸々引き継ぎました。この処置は真珠湾攻撃で意気消沈した将兵を奮い立たせるのに大変役に立ちました。ニミッツ提督の優れた人心掌握術として有名なエピソードがあります。太平洋艦隊司令長官に就任したニミッツ提督は、その後陸軍のマッカーサー元帥と共同(写真②左側)して対日戦の指導者として水を得た魚のように日本軍を敗北へと導くことになります。そしてミニッツ提督自身も、軍部内の組織のしがらみにとらわれない柔軟な人事を実施しています。私の尊敬するもう一人の提督であるレイモンド・スプルーアンス大将(写真⑦)は航空畑の経験がなかったにも関わらず空母を中心とした機動部隊のトップにするなどの大胆な人事を実施しました。何故ならスプルーアンス提督も極めて有能かつ人格者であり、有事にあってその能力を最大限発揮できる人物と見込んだからです。そして、それがことごとく良い結果をもたらしました。

この様にアメリカ軍は平時にはニミッツやスプルーアンスの様な有能な提督でも軍の組織内での秩序を維持するために少将という地位にくすぶっているのですが、いったん有事になると、勝利の為に平時の規則にとらわれない柔軟な対応を見せました。

一方日本では、絶対的な資源が乏しいため戦争を遂行し、勝利を得るためにあらゆる方面で出来る限り有能な将軍を適材適所に配置しなければなりませんでした。

この点において日本海軍はベストを尽くしたかと言えば残念ながらNOといわざるを得ません。

真珠湾奇襲攻撃という国運を賭けた攻撃を実際に誰が行ったかと言えば、南雲忠一中将(写真⑧)を中心とした第一航空艦隊によって行われました。そしてこの南雲中将は驚くべき事に魚雷などの水雷を扱う水雷畑の出身であって、空母を中心とした機動部隊については残念ながら、殆ど専門知識を持ちあわせておりませんでした。

それでは何故、南雲中将がこの真珠湾奇襲という大切な攻撃の司令官になったかというと、その理由は軍の年功序列制度(現在の政権政党や官僚、硬直的な組織でよくみられる)であったからです。ただそれだけです。この第一航空艦隊というのは世界で初めて空母を集中運用するという歴史に残るような斬新な戦術を採用しており、そしてそれを開発したのが航空の専門家であった小沢治三郎中将(写真⑨:本コラム2021年11月号記載https://brain-supply.co.jp/column/history/20211126-3388/)、運用したのは山本五十六大将でした。

自らが提案して作り上げた第一航空艦隊、小沢中将はその司令官に就任する有力候補でありながら最終的に南雲中将より兵学校の卒業年次がわずか一年だけ下であったというだけの理由で司令官に就任することができませんでした。(その後、敗戦色が濃くなってきた昭和19年に、敗戦続きの南雲中将の後任に小沢中将が就任します)

機動部隊の生みの親である小沢治三郎を戦時中という緊急時においても軍隊内の「秩序」を優先として適材適所が行われない。これが日本海軍の限界でした。アメリカであれば真珠湾攻撃という一大決戦を前に恐らく南雲中将から小沢中将への配置転換が行われていたのは容易に想像できるかと思います。

戦後の大東亜戦争の総括を、日本はやってきませんでした。その結果が現在の経済の低迷であると私は考えております。日本が大東亜戦争に敗北した理由を問うと「物量」という声がこだまとなって聞こえてきます。それは開戦前に既に分かっていたことです。しかしこういった硬直化した海軍のような年功序列制度の下では物量差が仮に同じであったとしても、ソフトウェアの優劣において、アメリカのような効率的な能力主義の前では、到底歯が立たなかったのは言うまでもないことかと思います。

現在においても、周囲を危険な国家(中国・ロシア・韓国・北朝鮮)に囲まれている我が国は、専守防衛かつ国力に対して資源小国なので、国家戦略として技術や情報などの分野に予算を費やすべきです。

更にはアメリカ、イギリス、イスラエルのように、諜報などのインテリジェンス大国になるべきですが、我が国にはCIA(米国)やMI6(英国)、モサド(イスラエル)の様な専門組織すらありません・・・。足を引っ張る左翼の政党やマスコミによって、300万人もの人命を失って得た教訓を検証もせずに、無駄にしてしまっていることを、残念に思います。ニミッツ元帥の話に戻ります。




彼の最大の戦果と言われているミッドウェー海戦での米軍の大勝利も、「戦力が優位で奇襲をする必要のない日本海軍が、奇襲をかけられ負けた」と冷静に総括したと言われています。またニミッツ提督には政治的な野心がなかったため、軍人として純粋なイメージがあります。

ニミッツ提督がまだ士官候補生だったころに、日本海海戦で歴史に残る大勝利を収めた日本海軍の東郷平八郎元帥の祝勝会に出席、そして東郷元帥から流暢な英国英語で話しかけられ、この上ない感銘を受けたと述懐しています。そのため大東亜戦争終戦後、横須賀にある東郷元帥の旗艦「三笠」の提督室(写真⑩⑪)が、米軍士官向けのキャバレーになっていたのを大変憂い、資金を提供して記念艦として修復させた話は有名です。

戦後「東郷元帥の大いなる崇敬者にして、弟子であるニミッツ」と書かれたニミッツの肖像写真が届けられ、三笠公園の一角に月桂樹をニミッツの名前で植樹されています。また、東京原宿の東郷神社(写真⑫)は、米軍の空襲により全焼していました。1964年(昭和39年)春の再建完工を目指していましたが、集められた基金は目標額に届きませんでした。このことが1962年(昭和37年)11月に米国のサンディエゴ・ユニオン紙で報じられると、ニミッツ元元帥は、自著『太平洋海戦史』に東郷元帥を偲ぶ文を追記し、同年12月21日に東郷神社再建奉賛会へ寄付、さらに同著の印税は、共著者であるポッター氏の快諾を得て、アメリカ海軍の名で東郷神社再建奉賛会に寄贈されました。

「思いやりの深い、人間心理を極めた、しかも謙虚に充ち溢れた人物であり、楽天主義的人物」、「ニミッツ提督は責任が増大するにつれて大人物に生長していく稀有な人物の一人であった」

これがニミッツ元元帥をよく知るポッター氏とモリソン氏のニミッツ評です。



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