大東亜戦争から学ぶリーダーシップ㊷

query_builder 2023/06/09
歴史編


第42回は、鴛淵 孝(おしぶち たかし、1919年(大正8年)10月22日 – 1945年(昭和20年)7月25日戦死認定)日本の海軍軍人。海兵68期。戦闘機搭乗員であり、大東亜戦争における撃墜王。戦死による一階級進級で最終階級は海軍少佐です。
1941年4月1日 海軍少尉、1942年3月17日に海軍中尉に昇進となり、1943年5月にニューギニアの隣のニューブリテン島・ラバウルに進出して航空戦に参加しました。同年9月1日に253空分隊長、11月1日に大尉に任官しました。早すぎる昇進ですが、この当時海軍航空隊は米国との戦争で消耗戦に突入し、特に航空士官が不足する事態に及んで、戦闘経験が豊富で、技能優秀な指揮官を求めておりました。

 



鴛淵中尉はその後、北千島防空、台湾沖航空戦に参加後、フィリピンに進出。セブ島沖の空中戦で負傷し、内地に帰還します。  
1945年(昭和20年)1月1日、第343海軍航空隊(剣部隊)戦闘701飛行隊(維新隊)の飛行隊長に就任しました。
この343航空隊こそ、有名な戦闘機、紫電・改(紫電21型:写真④⑤)を組織的に活用して運営を行った、当時世界最強と謳われた有名な航空隊でした。その実戦部隊の総指揮官が鴛淵孝大尉です。既に本コラムの2021年12月号でご紹介した菅野直大尉は、この343航空隊の戦闘301飛行隊隊長でした。 
https://brain-supply.co.jp/column/history/20211214-3768/



343空司令の源田実大佐
「鴛淵は性格温厚で紅顔の好ましい青年であったが、いざ戦闘となれば、その温厚さを吹き飛ばす闘士で、如何なる場合にも常に先頭に立ち、彼の指揮誘導には、ほとんど文句のつけようがなく、部下は『この隊長と共に死す。』ということに誇りを感じているようで、343空の戦火の裏には、鴛淵の卓越した空中指揮に負うところが大きい。」
飛行長の志賀淑雄少佐によれば
「殺伐としたところが無く、品行方正だが芯は強い。てきぱき仕事を進め、訓練計画も理詰めでこなす。参謀になっても腕を振るっただろう。」
元部下の宮崎勇氏は
「学業、技量、人格共に優れた、青年士官の鑑のような人物であった。穏やかで懐が深く、いつも笑顔で人を和らげる雰囲気を持っていた。」
元部下の八木隆次氏は
「長い戦闘経験の間にいろいろな隊長に接してきたが、鴛淵隊長のような人はいない。軍人としては珍しいけど、おおらかな人柄だった。訓示や作戦の指示などで壇上に立った時のまなざし、一人一人の隊員を見る目が、何とも言えぬ温かさを感じさせた。今でも人の心に伝わってくるようなその温かさが忘れられない。」
 
整備員の柳沢三郎氏によれば
「整備士にうるさい人ではなく、小言もなく、整備員を信頼して、よろしく頼む の一言だけであった。それがかえって頑張らずにはいられなかった。」


鴛淵大尉は、決して他人を責めることはせず、何事も自らが率先して行動しましたので、部下からの人望は厚く、隊員たちはことあるごとにこの隊長のことを自慢していたそうです。   
343航空隊は3月19日の邀撃(ようげき)戦で、敵艦載機を57機撃墜するという大戦果を挙げましたが、活躍しすぎたため西日本の防空を一手に任され、その後の戦闘で徐々に櫛の歯が欠けるように、被害を増やしていき、7月24日の戦闘では、敵艦載機500機に対して、稼働全機でもやっとの21機で邀撃、敵の大編隊に対して3度の攻撃を仕掛け、鴛淵大尉機はエンジンに被弾しました。
そして、同日の未帰還6機(写真⑥)の中に鴛淵孝大尉機も含まれていました。
この6機のうちの1機が、(昭和20年7月24日、存命中の目撃者によると、海面に見事に着水し、その後機首から水没し、いくら待っても搭乗員は浮上してこなかったそうです。恐らく負傷していたのでしょう) 1978年(昭和53年)愛媛県城辺町沖で発見され、翌年引き上げられました。当時この6機に搭乗していたのは、鴛淵孝大尉の他、列機の初島二郎上飛曹、武藤金義中尉、溝口憲心一飛曹、今井進一飛曹、米田伸也上飛曹の計6名です。武藤中尉以外は全員18~20代前半の若者でした。
当時の米国の戦闘報告で、米海軍のジャック・A・ギブソン中尉が、鴛淵機と思われる白色の胴帯を描いた指揮官機クラスの紫電・改を午前10:15頃に撃墜したことを報告しています。その鴛淵大尉機に付き添っていた初島二郎上飛曹も同時に撃墜されたと想定されるため、残りの4名の内の誰かが搭乗していたものと推定されます。私はどうしてもこの昭和54年の夏に引き上げられた、レプリカではない本物の紫電・改(写真⑦⑧⑨)をこの目で見たくて、今から6年前の夏に、32年ぶりにバイク(レンタルバイク:写真⑪)に乗って紫電・改展示館である、南レク(写真⑩)に行きました。同行者のK氏に無理を言って、仁淀川、四万十川を巡る旅から大きく逸脱して訪問しました。