国学者 平田篤胤と勝五郎再生記聞(さいせいきぶん)!?

query_builder 2022/10/07
岡弘己の今月のアドバイス

平田 篤胤(写真①②ひらた あつたね、安永5年8月24日〈1776年10月6日〉天保14年閏9月11日〈1843年11月2日〉)は、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者でした。生涯に100冊以上(次頁参照)の著書を記した江戸時代の大天才の一人で、私の尊敬する人物です。

平田神社(写真④)は、復古神道を創始して古典文化の復興に寄与し、その学問は「草莽の国学」として日本近代化のさきがけとなり、明治維新の原動力の源泉ともなった江戸時代後期の国学者平田篤胤を祭っています。

出羽国久保田藩(現在の秋田県秋田市)出身。成人後、備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となります。幼名を正吉、通称を半兵衛。元服してからは胤行、享和年間以降は篤胤と称しました。

復古神道(古道学)の大成者であり、大国隆正によって荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学の四大人(うし)の中の一人として位置付けられています。



私はこの天才平田篤胤のことを、ある雑誌で知り、興味深くいろいろと調べました。

その中で面白かったのが、平田篤胤の当時としては珍しい、恋愛結婚をしており、妻綾瀬が37歳で早逝した際にのめり込んだ幽冥界を論じた、『霊能真柱(たまのみはしら)写真③』を書き上げ、 「死んだ人間の魂は死者の世界に行くが、死者の世界は現世と全く別というわけではない。神々が神社に鎮座しているように、死者の魂は墓上に留まっている。 現世からは死者の世界を見ることはできないが、死者の魂は現世の人々を見守っていて、祭祀を通じて交流はできる。つまり、死者は永遠に家族や友人・知人を見守っているのだ」 と論じたことです。更に私が興味をもったのが、今から26年前に目にした、下記に記す「勝五郎再生記聞(写真⑨)」です。お世話になった友人の母の死の影響で、死後の世界に非常に興味を持ち、文献を読み漁っていた時の出会いとなりました。


<内容>

① 文政5年(1822年)11月、現在の東京都日野市にある、中野村に住む8歳の少年小谷田勝五郎(かつごろう)が兄と姉に、自分の前世は程久保村(中野村から1里:4km)の須崎藤蔵(とうぞう)で、6歳の頃に疱瘡(天然痘)にかかって亡くなったと語りました。
② 勝五郎の話は当初秘密にしていましたが、やがて両親の知るところとなりました。 そして求められるままに、生まれ変わりの顛末を詳しく語りました。 「おらあ、藤蔵っていって、六つの時に病気になって、死んじまったんだ。葬式の日、棺桶に入れられて、山の墓地に運ばれたんだけど、棺桶をお墓の穴に入れた時、ドスンというすごい音がして魂が抜けだしたんだよ」 その後魂のまま家に帰ったが、誰も気づきませんでした。 白い髭の黒い着物を着た見知らぬおじいさんに導かれてあの世に行きました。 3年たったら生まれ変わるのだと言われて、中野村の柿の木のある家に連れていかれ、窯の陰に隠れていると父母が相談していました。内容は、家計を助けるために母が江戸に奉公に行くというものでした。 藤蔵の魂は母の胎内に入り、文化12年(1815年)10月10日に勝五郎として生まれました。
③ 勝五郎の生まれ変わりの話は、両親にとっては信じがたいものでしたが、母が江戸の奉公に行くという相談の話は、両親以外は知らないことでしたので、両親は勝五郎の話は本当かもしれないと思うようになりました。 程久保村は1里しか離れておらず、知っている人に聞いてみると、藤蔵の家は実在し、疱瘡で亡くなった子供がいることも分かりました。 勝五郎の生まれ変わりの噂が広まり、「ほどくぼ小僧」というあだ名がつき、見に来る人も出てきたので、勝五郎は嫌がりました。 文政6年(1823年)1月20日、真実の確認のため、勝五郎と祖母のつやは、程久保村の藤蔵の家を訪ねることにしました。 勝五郎は行ったことのないはずの程久保村のことをよく知っていて、おばあさんを藤蔵の家に案内しました。
④藤蔵の家では、母のしずと藤蔵を良く可愛がってくれた養父の半四郎がいて、勝五郎が藤蔵によく似ているといって喜びました。勝五郎は始めてきたはずの家の中を良く知っていて、向かいのたばこやの木は、以前は無かったなどと言って、皆を驚かせました。


藤蔵の家は今も同じ場所にあるそうです。勝五郎の墓は八王子市の永林寺(写真⑤⑥)に、藤蔵の墓は日野市の高畑不動尊(写真⑦)に現在もあります。 藤蔵と勝五郎の家はその後親しく付き合うようになり、勝五郎は2歳の時に亡くなった実父・久兵衛の墓参りもしました。
⑤その年の2月、江戸から池田冠山(いけだかんざん)という大名(鳥取藩の支藩2万国の藩主:当時は隠居)が勝五郎の家を訪ねてきて、生まれ変わりの話を聞かせてほしいと頼みました。当時冠山侯は、「武蔵名所考」の編纂をしており、何度も多摩地方を訪れており、勝五郎の噂を聞いたものと思われます。 しかし勝五郎は気後れして何も話すことが出来なかったので、祖母のつやが代わりに話をしました。翌3月、冠山侯は「勝五郎再生前生話(かつごろうさいせいぜんしょうはなし)」としてまとめ、松浦静山(肥前国平戸藩主)や泉岳寺の貞鈞(ていきん)大和尚などの友人知人に見せたことから、この著作は多くに人の目に触れました。
⑥冠山侯のこの行動が、中野村を治めていた旗本の多門(おかど)伝八郎の重い腰を動かし、勝五郎父子の江戸への召還、調書の作成・御書院番頭・佐藤美濃守へ提出と繋がり、国学者の平田篤胤が自分の学問所・気吹舎(いぶきのや)への招聘と繋がり、4月22、23、24の3日間直接勝五郎から話を聞き、「勝五郎再生記聞」へと繋がりました。
⑦平田篤胤は「勝五郎再生記聞」をまとめ、7月22日からの上洛に持参、光格上皇(119代天皇:孝明天皇の祖父)と皇太后にお見せしました。これによって御所では、女房達に大評判になったとのことです。
⑧文政8年8月26日、勝五郎は気吹舎の門人になり、1年ほどいたようですが、その後の消息ははっきりしません。
⑨勝五郎はその後、中野村に帰ってきてからは普通の人と変わらない生活をし、農業の傍ら家業の目籠の仲買を行い、裕福な生活をしていたようです。そして明治2年(1869年)12月4日に55歳で亡くなりました。
⑩明治23年(1890年)にアメリカから来た学者ラフカディオ・ハーンが、日本の昔話を書物にして、海外に紹介しました。 「雪女」や「耳なし芳一」などで知られています。 ハーンは、日本人の女性と結婚し、小泉八雲(こいずみやくも)と名乗りました。八雲は、明治30年に、勝五郎の生まれ変わりの話を「勝五郎の転生(てんしょう)」という書物にまとめて、アメリカとイギリスで発表しました。 このことにより、日野で伝えられてきた生まれ変わりの物語は、世界中の人に知られることとなりました。


冠山侯が勝五郎に話を聞きに行くことになったきっかけは、文政5年11月に、藤蔵と同じ当時のはやり病の疱瘡で亡くなった、愛する末娘「露姫(つゆひめ)」の存在がありました。露姫がどこかで生まれ変わっているなら、何としてでも会いたいという親心が、冠山侯を動かしたようです。

平田篤胤が勝五郎に3日間にわたって話を聞くきっかけとなったのは、愛する妻・綾瀬との死別です。やはり愛する妻がどこかで生まれ変わっているのではないかという思いが、平田篤胤を死後の世界の研究へと動かしたのでしょう。

私が死と生まれ変わり、退行催眠に興味を持ったきっかけも、親しい人の死と残された友人を慰めるために、その時にできることをやった結果です。

人はこの世に生まれた以上、死ぬことは必然です。ただその先に何があるのかが、あまりにも情報と研究が少なく、不透明であり、現代社会ではこの悩みから解放されることは極めて困難です。

経営学者の元福島大学経営学部教授であった飯田史彦氏の「生きがいの創造シリーズ(写真⑧)」を全巻読破し、組織の生産性の向上に大きく寄与する要因の一つに、人が持つ死生観の中で、人は生まれ変わるということを受け入れている人は、そうでない人よりも、生産性が高く、組織に貢献する可能性が高いことを学びました。私自身がその可能性を信じ、その可能性を実践によって証明できるよう活動しています。

今残された人生、限られた環境の中で、どこまで自己を高めることが出来るかにフォーカスすると、生きることに前向きなエネルギーで満たされます。 

過去3万人ほど面談をさせていただいた経験から、多くの人は<過去を悔やみ、未来を憂いて、今を疎かに生きている>ようです。しかしながら、核となる軸をもった人、死生観が明確で揺るがない人は、<今を全力で生きると、未来が拓け、過去を前向きにとらえる>を実践されています。

上記はあくまで仮説の検証段階ですが、自分の中ではしっかりと受け入れています。迷いのない自己の確立、今の段階で随分前進してきています。

生まれ変わりがあると仮定して、今回の人生では、自分のミッション(退行催眠の際にハイヤーセルフから示された<人に働く意味を教えること>)を命の続く限り、実践していきたいと考えています。(答えは死んでみないとわからないですが。) ご興味のある方は、是非情報交換をしていきましょう!


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